L'art de croire             竹下節子ブログ

パスカル・ショメイユの『Un petit boulot』 ついでにジョルジュ・ロトネールも。

パスカル・ショメイユの新作。

『ハートブレーカー』のショメイユとロマン・デュリスの組み合わせだし、ロマン・デュリスとミシェル・ブランのコンビがおもしろそうだというだけの理由で見た映画。

少なくとも飽きない。最後までどうなるかとひやひやした。

でも、あの終わり方では、「青少年」の教育に悪いなあと素直に思ってしまう。

工場閉鎖で失業した三人の仲間の話で、みんな家族を守って生きるために必死だが、主人公のジャックは恋人に逃げられて一人になる。
地域のマフィアのボスが、妻を殺すバイトを持ちかける。
実はその前に別の一人も声を掛けられていたが断っていた。

その仲間が「人殺しはいやだ」、という理由を

「僕はカトリック、洗礼も受けてるし、初聖体もやってる」

というのがおもしろい。

「初聖体もやってる」というのは、赤ん坊の時に洗礼を受けただけではなく、初聖体を受けるために「カテキズム=要理のクラス」にも通ったいう意味だ。
この階層でいうと私立のカトリック校に行ったとは思えないので、共働きの親で、おばあちゃんに連れられて教区の教会に通ったのだろうと分かる。

その他、ベルギーでの殺人依頼主の女性との会話で、

「あなた、神を信じてる?」
「いや」
「私も。私は教会へ行く人よ。この後で隣の教会に祈りに行くからそこにきて」

と待ち合わせ場所を指定するのもおもしろい。

croyant というのとpratiquantというのを分けているのだ。

普通はこれと逆で、
「信じているけど定期的に教会には通わない」
というのがマジョリティでほとんどデフォルトだ。

この場合の「信じている」というのは「無神論者ではない」というほどの意味で、カトリックのアイデンティティが残っているという程度だ。

前の例で仲間が人殺しを断った理由に「僕はカトリックだから」と言ったのと同じ程度の意味である。

それが逆になって

「信じていないけれど教会には通う」

と言っているわけだ。

あえて言えば、熱心に教会に通っている人たちがほんとに神を信じているかどうかなんてわからない、とも読める。

実際本当に神を信じているなら教会の中で殺人の手順を相談するなど罰当たりなわけで、ひょっとしてそれをチェックするためにまず「あなた、神を信じてる?」と聞いたのかもしれない、などと思ってしまう。

ロマン・デュリスとラブストーリーで絡む女優アリス・ベライディが私好みでかわいい。

ガソリンスタンド併設の小スーパーを視察に来るスーツ姿の上司があまりにも感じが悪くて、社会派ドラマによくあるカリカチュラルな造形なのだが説得力がありすぎる。

放尿シーンやトイレでの武器などの受け渡しシーンが多すぎ。匂うような映画だ。

しかし、主人公ジャックの言葉を借りると普通の「シンプル」だが幸せなのかどうかはわからないな生活をしていた男が、工場の閉鎖でシンプルさを失い、思ってもみなかった殺人に手を染めるというテーマを考えると、最近TVで久しぶりに見なおしたジョルジュ・ロトネールの『七番目の陪審員』(1962)となんとなく比べてしまった。主人公がのモノローグが絶えず流れるところも似ている。

この映画はスイスの国境に近い町のブルジョワたちの偽善がテーマなのだが、やはり、「幸福ではないがシンプルな生活」が崩れる恐怖が描かれる。

最初に、主人公のブルジョワで妻子持ちの中年男が出来心で、水辺で半裸で寝ている女性に襲いかかり、声をたてられないように首を絞めてしまう「発端」が映されるのだけれど、この前後のシーンにずっとヴィヴァルディの「夏」が流れている。
白黒映画だけれど明るい夏の光の中で、この曲がこんなに苦しくドラマティックだったとは知らなかったと思うくらいに濃密で緊迫した空気を醸成する。

毎日仕事の後に規則正しくポーカーに興じる仲間の薬局主、獣医、警視、判事、医師などに対して、画家という「自由業」でしかも若いという二つの点で「異質」分子である男が、恋人殺しの冤罪に問われる。

真犯人である薬局主(ベルナール・ブリエが名演)は、あれは殺人でなく処刑だったんだ、などと自分に言い聞かせるのだが、無実の男が犯人にされるとなるとさすがに良心が痛み、国境を超えてスイスの教会に飛び込んだ。

司祭に告解し、拘留されている画家の無実を当局に知らせてくれるかと期待するのだが、

「まず、自首しなさい、神の慈しみはその時点からもたらされる、自分の魂を救いなさい」

と言われる。

実際、この司祭は、当局に、今捕まっている男は犯人ではないことを通知するのだけれど、彼らはそれを握りつぶす。司祭に告解に行ったということだけでも、「真犯人」が彼らの仲間であることは想像がついたからだろう。

町のブルジョワたちが一番避けたいのはスキャンダルで、一番守りたいのは「シンプル」な生活のルーティーンなのだ。

皮肉なことに、真犯人の薬局主だけが、良心に従っているうちにそのルーティーンから解放され、ある種の自由を獲得する。「真実があなたを自由にする」というやつだ。
しかし、事態は思いがけない展開となり、「偽善」が勝つ。

半世紀も隔たりがあるというものの、こういうフランスの社会派の犯罪映画を2本続けてみると、ハリウッド映画から得られるような「単純なカタルシス」がいまさらながら恋しくなる。
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by mariastella | 2016-09-09 01:06 | 映画
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