(これは前の続きです)
MJが情事の後で毎回告解に行ったのは、「敬虔な信者」らからはもちろん、コクトーらから見ても滑稽で迷惑でさえあった。
けれどもそれはMJにとって「罪」を毎回チャラにしてもらうというようなご都合主義のことではない。
彼の脳裡には『ヨハネの手紙一』の言葉がこだましていた。(1章 7~10)
>>>しかし、神が光の中におられるように、わたしたちが光の中を歩むなら、互いに交わりを持ち、御子イエスの血によってあらゆる罪から清められます。
自分に罪がないと言うなら、自らを欺いており、真理はわたしたちの内にありません。
自分の罪を公に言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、罪を赦し、あらゆる不義からわたしたちを清めてくださいます。
罪を犯したことがないと言うなら、それは神を偽り者とすることであり、神の言葉はわたしたちの内にありません。 <<<
MJは毎日か一日おきには「自分の罪を公に言い表」して赦され、「清め」られた。
モンマルトルの丘の階段を膝で上ったこともある。贖罪だった。
しかし、果たしてそれは効を奏したのだろうか。
もし、
「世も世にあるものも、愛してはいけません。世を愛する人がいれば、御父への愛はその人の内にありません。
なぜなら、すべて世にあるもの、肉の欲、目の欲、生活のおごりは、御父から出ないで、世から出るからです。
世も世にある欲も、過ぎ去って行きます。しかし、神の御心を行う人は永遠に生き続けます。」( ヨハネの手紙一/ 2, 15~17)
ということを突き詰めれば、MJは自分の欲望が「世」に属していて「永遠」に属していないことをよく分かっていた。
1935年、3年にわたるルネ・デュルスーとの恋が終わった。
1936年5月25日、10 年間のパリの生活を捨てて、MJは再びサン・ブノワ・シュル・ロワールに戻ってきた。
次の年には、ピカソも、ヴラマンクも、レジェも、コクトーも、エリュアールも、MJ のもとに「巡礼」にやってきた。