L'art de croire             竹下節子ブログ

奇跡の教室 受け継ぐ者たちへ (2014)監督マリー=カスティーユ・マンシヨン=シャール

機内で見たフランス映画『奇跡の教室 受け継ぐ者たちへ 』


パリ東南郊外県庁所在地のクレトゥユ公立リセの1年のクラス。

後でコメント検索したら、日本人の感想に、「服装、態度、とても高校生とは思えない」、というのがあった。

いや、あんなものだ。
先生もリアルだ。

すでに落ちこぼれ組という設定からすると、小中学校ですでに1、2度は落第している生徒が多いだろうから、日本の高1よりは年取っているかもしれない。

現実の問題がうつされる。

3年間は我慢したがバカロレアの証明書をとりに来たときはイスラム・スカーフを外さずに女子学生の親子が教師に悪態をつく。

普通のフランス人の少年がイスラムにかぶれてイスラム名を名のり出し、ひげのばしてイスラム服を着て、普通のムスリムの少年を不信心だと責める。

ムスリムの少女の服装が肌を露出しすぎだとムスリムの少年たちが囲んで、肌を隠さないのなら娼婦とみなす、と脅す。

この辺は今のフランスの深刻な問題だ。
リアルだと思う。

親しい友人にもリセの教師はたくさんいる。同じような深刻な問題についてみなで話し合ってきた。。

でもいくら悪ぶっていても子どもは子ども、可能性は無限だ。

フランスの高1のクラス、私は東京(リセ・フランセ)で一度、パリで一度受け持ったことがある。

隔世の感があるのは、今はみながスマホを持っていたり、USBを使ったり、貧しそうな家庭の子供も自分用のPCを持っていることだ。なんでも検索できる。

私の生徒は東京のフランス人の子弟だったし、パリでもカトリック系私立中高一貫校だったから、基本的にはみないい子だったし宗教や文化の問題はなかった。それでも態度は生意気で挑発的だった。

これが高2からがらりと変わって大人になる。

でも態度如何にかかわらずよく見るとみな子どもでフレッシュで可愛い。

授業の後に残って相談を持ちかける生徒もいた。

請われて臨時で日本語を教えていた時、普通は「マダム」と呼ばれるのだけれど、「せんせい」と呼ばせた。

「ボンジュール、マダム」の語順は日本語ではない。「センセイ、コンニチハ」と言うのだと教えた。

学年末、「次の先生もリスペクトしなさい」と言ったら、口々に、「ぼくらのセンセイは一生、センセイだけだ」と言い出した。

かわいい。

若者の成長に寄与できるのは何よりも楽しい。

楽器の生徒も幼稚園から高校卒業までずっと見守った生徒がたくさんいて、成長を見てきた。


語学を教えるときも音楽を教えるときも、よろこびをベースにした人生観の形成に役立つことを第一目標にしてきた。


そのためにも私の喜びを伝えることを大切にしてきた。

この映画の教師の気持ちはよく分かる。


自分で考えること、

それをコミュニケートすること、

それによって集合知を形成すること、


このプロセスを教えることが一番大切だ。


フランスの教育哲学の一番いい部分が、危機の状況の中で発揮される例だろう。

試験の点数だけを気にしているような平和なクラスではこの大切なものが忘れ去られるというのはひとごとではない。
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by mariastella | 2016-10-21 10:17 | 映画
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竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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