L'art de croire             竹下節子ブログ

フッガーライの話 その2

フッガーライを始めた銀行家のヤコブ・フッガーは16世紀当時のヨーロッパの全GDPの2%に当たる財産を所有していたという。
割合からいうと「有史以来、世界一富める男」だそうだ。

ハプスブルク家が重要な顧客だった。
故郷のアウスブルクは彼のおかげでヨーロッパの金融の中心地となっていた。
フッガー家の宮殿は町のカテドラルに匹敵する広大な建築で、ここを訪れたモンテーニュはどの部屋も自分の見た最も美しいものだと言っている。

その金が、「信仰と福祉」を結びつける革新的なモデルを作った。

フッガーライは1516年から1523年にかけて造られ、簡素だが機能的な建物は500人まで収容できた。

その一人は石工で、1681年から94年まで14番地に住んでいたフランツ・モーツアルトだ。

未来の神童W.A.モーツァルトの曾祖父である。

フッガーライは、町の70%を破壊して730人の死者を出した1944年2/25-26の空襲からも復興して、ヤコブの家系の三つの分家を中心にした財団に管理されている。

経費の70%は3200ヘクタールの森林資源と観光収入と住宅投資からまかなわれている。
16世紀当時のモデルルームや記念館などを訪れる観光客のフッガーライ・ゾーンの「入場料」は長い間無料だったが今は4ユーロ(500円ほど)で、住民の年間家賃の4倍以上だ。アウスブルグには現在2万戸の福祉住宅がある。でも500年の歴史を持つ140戸のフッガーライのシンボリックな意味は大きく、住民たちの誇りとなっているという。

ヤコブ・フッガーは七人きょうだいの末っ子で、聖職者の道を歩むはずだった。

その彼が、大富豪になり、1506年に最初に教皇庁のスイス衛兵の費用を出したり、ローマのサン・ピエトロ大聖堂の建築資金を集めるために免罪符の販売を始めたりしたのだ。

ヤコブは教皇庁に金を貸し、その見返りに、免罪符の販売を一手に引き受けて歩合をせしめていた。

免罪符のシステムに反駁したマルティン・ルターを1518年に召喚して尋問した教皇大使はフッガー家に滞在していた。教皇はレオ10世だ。(参考)

けれども、フッガーライを見ていると、

聖と俗のなれあいや、私的な利益の追求、教皇庁の腐敗やご都合主義などだけが「宗教改革」の契機となっただ、

という単純な図式ではない宗教観や信仰のあり方がそこにはあるのが分かる。(続く)
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by mariastella | 2016-10-23 11:27 | 雑感
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