フランシスコ教皇が10/31と11/1にスウェーデンを訪問し、ルターの95ヶ条の論題提起からの500年記念をはじめてルター派の教会と共に祝う。
宗教改革時代以来、教皇がスウェーデンを訪れたのは1989年のヨハネ=パウロ二世に次いで二度目でもある。
スウェーデンは早くからのプロテスタント国で、政教分離してルター派がいわゆる「国教」でなくなったのは2000年になってからだ。
1873年までは、国内のルター派教会の信徒がカトリックに改宗することも法律で禁じられていた。
今サウジアラビアなどのイスラム国で、改宗が禁じられていて信教の自由がない国を見るといかにも「前近代的」な気がするけれど、「信教の自由」というのは多くの血も流された長い道のりを経てたどりついた人間社会の驚くような成熟の一形態なのだと思う。
スウェーデンのカトリックは一千万人弱の人口のうち12万人ほどで、ルター派がどんどん教会離れしていく中で、中東やポーランド系の難民や移民の影響で増加しているのだそうだ。
聖職者のストラクチャーをなくして万人司祭を唱えたルター教会は逆説的に、国家の庇護を必要とすることになって国教化した。イギリスの場合もローマ教会を離れたとたんに国教化した。
ポーランドはもともとカトリックだけれど、たとえば中東からの移民が「改宗」するにあたって、移民先の国の国家主義と重なりやすい「国教」や準「国教」に改宗する方が同化しやすいのか、カトリックのようにもっとインターナショナルでヴァティカンというほとんどヴァーチャルな国家の一人の首長を持つ宗派に改宗する方が生きやすいのかわからない。
けれどもスカンジナビアのように金髪碧眼系の白人がマジョリティの国で、宗教によってどこまで「同化」できるのか、難しいところだ。
同化だけが確実なサバイバルにつながるような地域も時代もある。
その前にまずカトリックとプロテスタントの接近の努力があるわけだから、道は、まだ遠い。