L'art de croire             竹下節子ブログ

パリ多発テロから1年経った。(前の記事の続きです)

11/13に、『東京物語』をヴィレット劇場に観にいったのは、シンボリックでもあった。

昨年11/13に130人の犠牲者を出した多発テロから一周年の日だったからだ。
バタクランのホールも再開した。

ヴィレット劇場のアクセスにはセキュリティについて何のコントロールもなかった

上演の前後には併設のカフェで人々がたむろして談笑し、上演後には監督もスタッフも役者も合流する。

外にも人がたくさんいて、いろいろな催し物をのぞいたり、町のカフェには人があふれている。

テロの脅威は今でもある。
非常事態宣言というやつも、来年一月にまた延長されると言われている。

日本からパリに来る観光客、留学生、各種興行もキャンセルが少なくない。

でも、何事もなかったように、パリにいる人々は楽しんでいる。
生活様式を変えない。

このことを、テロの恐怖に勝利した、人々を分断し互いを疑心暗鬼に導こうとするテロリストの思惑を裏切った、と評価する人もいる。

日本から帰ったばかりの私には、なんだか「地震」の恐怖と似ているなあ、というのが実感だ。

地震のないパリから見ると、いついかなる時でも突然の地震におそわれる可能性のある東京の方が恐ろしい。テロなら、自宅で寝ている時には襲われないが、地震は時と場所を選ばない。

3・11の後に日本に行った時など正直言って怖かった。

こんなところでよく人々は何事も起こらないかのように、スカイツリーに上ったり、タワーマンションに住んだり、オリンピックを招致したり、原発を再稼働したり、お店に華麗なガラスや陶器のディスプレイをしたりするなあ、と感心する。

でも、可能な限りの「地震対策」をする、可能な限りの「テロ対策」をする、

後は、もう、運の悪い時に運の悪い場所にい合わせるかどうかのリスクで、それは、自宅の前の道路での交通事故や航空機事故を恐れるかどうかと同じだ。

死ぬことが怖いのではなく、「生きない」ことが怖いのだ、

というのは当たっている。

生きているうちは、豊かに楽しく生きなくてはならない。

ヴィレット・パークには6月に演奏したフィルハーモニーのホールもある。
劇場からも見えている。
思えばあの企画に参加を決めたのは、多発テロの後での「テロの恐怖」へのレジスタンスのつもりだった。

観客として劇場に足を運ぶのも、この世の楽しいこと、美しいことを絶えさせることなく次につないで行くことだ。

地震があっても、災害があっても、テロがあっても、多くの犠牲者が出ても、それでも、文化とアートが完全に消滅することはない。

地震に遭遇すること、テロに遭遇することなど絶対にないかのように東京でもパリでも人々は生きる。

誰でも、生きている間は絶対に死なないかのように生きるのと同じだ。

個の運命を超えたオプティミズムというものに人は支えられている。
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by mariastella | 2016-11-15 18:39 | フランス
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竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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