L'art de croire             竹下節子ブログ

トランプとアメリカのカトリック (移民政策とプロ・ライフ)

11/15、バルティモアで秋のアメリカ司教会議の総会が開かれて、新会長に67歳のダニエル・ディナルド枢機卿、副会長に65歳のロスアンゼルス大司教のホセ・ホラシオ・ゴメスが選ばれた。

会長は慣習的人選ですんなり決まったけれど、10人の候補者から、三度目の投票でゴメス大司教が副会長に選ばれた意味は大きい。

彼は熱心なアメリカの移民支援者であり、この人選が、2, 3百万人の不法移民を追放すると言っているトランプ新大統領への牽制を示しているのは確かだろう。

ゴメス大司教は副会長に選出された最初のヒスパニック聖職者だ。
メキシコ生まれで今も姉妹がメキシコに住む。アメリカ国籍を取得したのは1995年。
彼がトップに立つロスアンゼルスは70%がヒスパニックであるアメリカ最大の司教区である。

トランプ選出の2日後にロスの市長と共に移民とその家族を擁護するコメントを発した。

トランプが「壁を造る」といった場所に橋を渡さなければいけない、
移民が恐れて逃げたり隠れたりするようなことがアメリカに起こってはならない。

これを受けて、11/14に「人間的な政治を推進し移民の尊厳を守る」と確認した 270人のアメリカ司教団は、翌日ゴメス大司教を選出したわけだ。

もっとも、移民難民に対するバティカンの路線を継承するアメリカ司教団も、フランシスコ教皇のすべての方針に満足しているわけではない。

向こう3年のアメリカのカトリック教会の優先事項は「福音宣教、結婚と家族、人間の命と尊厳、召命と宗教の自由」とされた。
19日に教皇から枢機卿に任命されるインディアナポリス大司教は教皇の推進する「環境保全」がそこに含まれなかったことを悔やんでいる。

司教会議に属する「正義と平和協議会」の会長にも、教皇に近い立場のサンディエゴ司教に対して、軍隊担当の司教であるティモシー・ブログリオが127対88で選出された。

移民の支援は本来国境のないカトリックとしては当然だとしても、実は今回選出されたゴメス副会長も、トランプに投票したカトリック信者に支持されるプロ・ライフの保守派で、オプス・デイのメンバーだ。

民主党政権によって同性婚や中絶合法化が広がったことに対する不満が、今回の選挙でのアメリカのキリスト教徒のリアクションの一つだった。
ディナルド枢機卿は2015年10月に「家族シノドス」の結果を憂える手紙を教皇に出した13人の司教の一人だった。

司教総会で強調されたもう一つのテーマはルイジアナ、ミネアポリス、ダラスなどで起こった人種差別に関する抗議行動で、トランプの当選によってレイシズムが高まってはいけないことに警報を発している。これは妥当だろう。

しかし、プロ・ライフなどの事情をフランスから見ると、アメリカのメンタリティの中で政教分離は根づいていないなあ、と思わざるを得ない。
革命を生き延び、政教分離や共和国主義を自分のものにしたフランスの司教会議では絶対出てこないようなことが出てくる。

例えば、前にも書いたが、中絶の合法化は政治の問題で宗教の問題ではない。
中絶を自由に選択した女性やそれを助ける医療機関を「非合法」として闇に追いやることは間違っている。

「中絶を非合法にしない」ことと、生命の尊厳としてのプロ・ライフは本来別の問題であるはずだ。

これも前に書いたことがあるが、法律上の合法化が必要であることとは別に、カトリック教会が中絶をしない選択をした女性、中絶ができなかった女性と、生まれた子供を全面的に支援し、励まし、祝福するのは大いに意味がある。

一方、レイプされたり胎児の障碍が見つかったりなどの理由、あるいは経済的、社会的な理由であるにせよ、女性が中絶を決意するのはそれだけで大変なことだからこそ、そこに違法性などを加えてさらに苦しめるのは神の無限の「いつくしみ」に反する。
それでなくとも中絶は「試練」であるが、それでも、それを克服する方法はいろいろある。
すでにいる他の子供を愛することに集中する、次に子供をつくる、養子をとる、ペットを飼う、趣味や仕事や他のクリエイティヴなことや利他の行為にエネルギーを振り向ける、いろいろな方法で、「喪に服」したり、「忘却」したり、「ポジティヴなものに変換し」たりすることは不可能ではない。

それに対して、望んだ子供を産む人はもちろん問題ないにしても、宗教的な理由、身体的な理由(中絶不可能な時期になった)、社会的な理由(戦争、中絶可能なシステムや支援者がいないなど)などによって中絶できなかったりしないことを選択したりした女性がその後の試練を克服するハードルは高い。
自分だけでなく子供の命を守り、子供を愛し、責任を全うしなくてはならないからだ。

いや、望んで産んだ子供だって、親や子の障碍、事故、病気、貧困、両親の不和などによって母子の関係が難しいものになることなどいくらでもある。
全ての子供、すべての人は「中絶をしなかった母親」から生まれたわけだが、生まれてからその母親との関係性に苦しむ例は少なくない。

その上に、レイプだの不倫だの障碍などというスタート時点のハンディがあるとしたらもっと大変だろう。

そんなケースを助ける社会政策ももちろん必要だが、そんな時こそ、「霊的な権威」が、「母子を無条件で祝福する」ことの意味は大きい。

中絶を選択した人、あるいは子供のいない人、子供をもたない選択をした人たちが人生における試練の克服のために「霊的権威」による祝福を必要とする度合に比べて、子供との関係において悩み続ける人たちと、それを支援する人たちが、無条件でプロライフを肯定され、励まされ、祝福される必要は無視できない。
だから、宗教者が家庭や母子関係を祝福するのは当然であり必要だ。

しかし彼らが、家庭や母子関係を選ばなかったり選べなかったりする人に石を投げるのは言語道断であり、そのような法律に加担するのも間違っている。

でも本当に深刻な問題は、子供がほしいのに、社会的、経済的、伝統的なさまざまな基準や圧力やそれらの結果としてのそ育児の困難さ故に、中絶をせざるを得ないというケースかもしれない。

「自由な選択」というのは簡単だけれど、「自由」にも霊的な根拠が必要だと、つくづく思う。
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by mariastella | 2016-11-18 03:45 | 宗教
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