L'art de croire             竹下節子ブログ

アスガル・ファルハーディー の『セールスマン』

今年のカンヌ映画祭で脚本賞、シャハーブ・ホセイニーが男優賞を受賞したイラン映画。

前作の『ある過去の行方』については前にここで書いている。その前の『別離』についてはここで

『セールスマン』というタイトルは、主人公のカップルが、劇団員でアーサー・ミラーの『セールスマンの死』を演じているからだが、フランス語タイトルの『顧客』という方が、意味深長だ。

最初にカジノだとかボーリングだとかいうネオンが出てきたので一瞬驚いたけれどアメリカが舞台の芝居の大道具だった。テヘランでアメリカの芝居をやるリスクにも触れられている。女優が帽子の下にちゃんとスカーフで髪を隠しているのもイランならではだ。
主人公が教師を務める学校の文学の教材も検閲されている。

脚本賞を得たのが納得できる、まるでミステリーのようなスリリングな展開で、はらはらするし、驚きの結末だ。
夫婦の関係、そこに仲間の子供が加わるときの関係、隣人関係、高校教師と男生徒たち、怒り、憎悪、復讐、憐憫、赦しなどが、アクションとリアクションとして連なっていく。

どこをとっても巧い。
しかも、決めつけがない。
人はおかれた人間関係や立場によって色々な欲望を持ち、誘惑にさらされ、自分を正当化したり、自制を完全に失ったりする。
強さも弱さも卑怯さも優しさも、みんなほんものだ。
哀しいし、痛切でもあるけれど、主人公の二人が演劇という芸術に情熱を傾けているところ、最後にそれがクラスの生徒たちの心もとらえるところなどに、救いを感じる。

こういう映画を撮ることが、宗教原理主義体制に対する何よりも有効なレジスタンスであり、自由の意味を考えさせてくれる。

いつもは映画についてコメントするときはいわゆる「ネタバレ」を気にしないのだけれど、ここではそれを書く気がしない。

その「ネタ」は思いがけない重いテーマであって、この映画もその解決を語っていないし、主人公たちのリアクションを肯定も否定もしてしない。

これについて書き始めたら映画評ではなく、哲学に足を踏み込んでしまう。

「悪の陳腐さ」はいつも哀しい。この映画で突きつけられる「悪の弱々しさ」は、もっと哀しい。
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by mariastella | 2016-11-28 04:12 | 映画
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竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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