L'art de croire             竹下節子ブログ

子供と政治 その2 と、聖霊

8歳の少年と世界情勢を話す

この夏、日本で参政権が18歳に引き下げられた話題を見ていて、まるで子供に政治について説明してやらなくてはいけないという調子のものが少なくなかったのに驚いた。

フランスでは高校生がデモに参加するというのは社会の通過儀礼のひとつのようなものだからだ。

日本でも私が高校生だった頃は、いわゆる大学紛争のあった「政治の季節」で、政治活動に参加したり議論したりする高校生はめずらしくなかった。

フランス人はもともと、ホームパーティでもメトロに乗り合わせた者同士でもバカンス先でも、政治の話をするのが好きであり天気の話と同じくらいにハードルが低い。それでもこの夏に8歳の少年と2人きりで小1時間も世界情勢の話をすることになったのは初めての経験だった。

家庭で大人たちといっしょにテレビニュースを見て大人たちのコメントを聞いていろいろ考えていたらしい。でも最も意外だったのは、少年と話していると、普段仲間と議論している時とは全く別の言葉が私の口から出てきたことだ。

まず少年は、フランスの極右政党の党首を批判して、

「フランスから外国人を追い出すと言うのはよくない、外国人のいないフランスはフランスではない」

と言いだし、その党首が人種差別主義者だとかなり激しく弾劾した。
これが大人と話しているのなら私も同意したかもしれないけれど、不思議なことに私はその党首を弁護し始めた。

「でも彼女(党首ル・ペンのこと)のような人が自分の意見を言えるということが表現の自由だし、彼女のような人がそういうことを言ってくれるおかげで、『それは良くない』と人々が批判したり差別の存在を意識化したりできるから大切なことよ。差別感情は必ずあるもので、もし誰もそれを外に出さないままでいたら、偽善がまかり通ったり排外感情が蓄積したりなどもっと深刻なことになるよ。」

と言ったのだ。

「彼女のような人の発言のおかげで私たちは自分の感情も含めて何が正しくないことかについて考えることができるでしょう」と。

次に少年はイランの情勢について語り、イランは大統領がいる共和国で民主主義だと言ったが、私は

「問題は、そういう政治システムとの上に宗教のリーダーがいて、宗教のリーダーが最終的な権威を持っていることだ」

と言った。

「イスラム共和国はイランを利用したけれど、イランにはゾロアスターの伝統も生きていたし、日本に仏教が伝来しても民間信仰と習合したように、一宗教のリーダーが上から社会を縛り異質なものを排除するのは民主主義とは言えない」。

こう話しながら、ああ、政教分離というのは人間が獲得した本当に大切な知恵だなあ、と私は初めて実感した。

話はさらにフランスから遠ざかり、少年が、今度は「絶対悪」として北朝鮮を引き合いに出して来た。

それにも驚いたけれど、私はまたもや弁護し始めた。
朝鮮が分裂したのは当時の政治イデオロギーの対立のせいでむしろ犠牲者であること、その後冷戦が終わって北朝鮮はソ連から見捨てられ、市場経済政策によって欧米と接近した中国からも裏切られて孤立せざるを得なくなったこと、などを説明したのだ。

切って捨てられるような「絶対の悪はない」と。
実際に人の自由や安全を脅かす個々のケースを批判して対応しなくてはならない。

同時に、政治や社会を論じる時には、「恐怖」と「怒り」に基づいてはいけないと話した。
「恐怖」にとらわれている時には正しい判断、識別ができないからだ。

また「怒り」に駆られた時は、必ず自分が絶対正しいと思ってしまうからだ。ところが「絶対正しい」などということはあり得ないのだから、怒りにまかせた判断は必ず間違っている。いったん怒りを鎮めた後で状況を検討し判断しなくてはいけない。
これはセネカの『怒りについて』の受け売りで私が自分に課しているものだけれど、少年はすべてについて納得したようだった。

共和国理念よりも上にあるもの

「外国人とは何か」についても話し合った。私は日本人だし、フランス生まれの少年も祖父母やその前まで遡ればフランス以外のいろいろな国のルーツを持っている。
少年が「ぼくはフランス人というより外国人かもしれない」とむしろ自慢げに言った。
私はこれに対しても、普段とは違う反応をした。

「いや、きみはフランス人だよ。フランス人というのは国籍や血統でなくてフランス語とフランスの理念を共有しているかどうかだから。その意味では私もフランス人だと思う。」

そして「共和国理念」とは自由・平等・きょうだい愛(フラテルニテ)だと付け加えた。

「きょうだい」とは、人種や言葉と関係ない普遍的な人類のことだから、人種差別や外国人排斥とは相容れない。
たとえこの理念が現実には反映されていなかったり捻じ曲げられたりしているとしても、これを掲げるかどうかは譲れないところだ。

話がこの段階に入った時、少年はいたずらっぽく笑って、「いや、その理念よりももっと大切で上位に来るものがある」と言い出した。

「なんだか、分かる?」

「分かるよ」

私は腕を広げた。

さっきまで真剣な表情で「天下国家」を論じていた少年は天使のように幸せな表情で私の腕の中に体を投げかけてきた。

「アムール(愛)!」

二人は同時に言った。

私と彼が話しているあいだに「聖霊」が二人のそばにずっといたことを感じた。

夏休みに入り、旅行に行く前にうちに寄っていた少年とのひと時である。
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by mariastella | 2016-11-30 01:20 | 雑感
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