L'art de croire             竹下節子ブログ

カズヌーヴが首相になった

月曜日、ヴァルスがようやく大統領選出馬を宣言して首相の座を離れた。

マクロンとヴァルスでは

「(上司であるオランドに対する)裏切り者同士の戦いだ」

と揶揄する共和党員もいる。

まあ、オランドも、選挙前にDSKのスキャンダルでチャンスが転がり込んだわけで、カリスマ性はもともとなかったが、ヴァルスやマクロンのようなキャラのたった男たちに囲まれていて大変だったろうなと気の毒にも思えてくる。

で、マクロンの後に、内務相のカズヌーヴが首相に就任した。
内務相から首相にという展開は、ヴァルスもそうだったし、サルコジやヴィルパンも内務相を通過した。

カズヌーヴについては、教会のテロの後に詳しく書いた
オランドもようやく、権力争いとは離れて、忠実なカズヌーヴといっしょに最後の数ケ月は「理想」に立ち返るんだろうか。

カズヌーヴはフィヨンと同じくカトリックだ。

でもこの記事に書いたように、政権にある人として政教分離についてとても気をつけている。

上の記事にあるサロモン・ルクレールは教育修道会の修道士だった。

フランス革命後、1790年の聖職者市民憲章によって、共和国への忠誠(11/26から義務となった)を誓わなかったので、パリで身を隠した。1792年8月に逮捕され、監獄と化したカルメル会修道院に閉じ込められたが、9/2にほとんど全員が修道院内部や庭で刺殺された。

2007年、ベネズエラで毒蛇に咬まれた少女のために修道女たちがサロモンに祈ったら治癒を得たのが、2011年にカラカス司教が奇蹟の治癒の認定をしたて、列聖の基準を満たした。

ベルナール・カズヌーヴ(内務・宗教相)は今回(10/16)の列聖式には出席しなかったわけだが、2015年のジャンヌ=エミリー・ド・ヴィルヌーヴ列聖には出ている。

ピウス11世がフランス革命の188人のカトリック殉教者を列福し始めたのは1926年のことだ。

カズヌーヴは1792/9のカトリック虐殺を容認するものではないし、共和国を守るために共和国の名でなされる犯罪行為を共和国が免償するものでもない。

何があったか?

7月のアメル神父の殉教との関係がないとは思えない。

ルクレール修道士もアメル神父も、個人として殺されたのではなく、信仰と宗教上の役割のために殺された。

アメル神父の死は共和国の「信教の自由」に反するイスラム原理主義者によるテロとみなされる。
フランス革命の「恐怖時代」は、まさに「テロ」という言葉を生んだ時期だった。

カズヌーヴの社会党はフランス革命の理念の継承者ということになっている。

難しい立場だが、カズヌーヴの選択はメッセージ性を発していた。

これからは、社会党の予備選やらマクロンやメランションの動向ばかりが取り上げられるだろうが、オランドとカズヌーヴの最後の五ヶ月を見まもってみたい。
[PR]
by mariastella | 2016-12-07 00:11 | フランス
<< アンゲラ・メルケルとアンデン・... キリスト教ルーツの温度差 >>



竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
以前の記事
カテゴリ
検索
最新の記事
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧