L'art de croire             竹下節子ブログ

ベルリンのテロと「民主主義」

これを書いている時点で、今度は24歳のチュニジア人が先日のテロの容疑者として捜索されているようだ。

メルケル首相は、こんな時でも、「戦争だ」とか言わないで、

「民主主義の根幹はオープンであること」にあるから、移民へのオープンドア政策そのものは見直すつもりがない、

という姿勢を(今のところ)貫いている。

この「民主主義」(彼女の政党もこの言葉を冠している)という言葉は、ドイツにとって大切なお題目なのだなあというのが実感される。

前に、アメリカのお題目の価値観は勇気と忠誠と親切心だと書いた。

この「親切心」が、勇気と結びついて識別を誤ると、よその国に出向いて行って、独裁者に支配されている民衆を救わなければ、などという政策に向かう。「小さな親切、大きなお世話」と言われるように「親切心」は上から目線になることが多く、時と場合によってはろくなことにならない。
でも、敗戦後の日本も、いろいろな部分で、末端のアメリカ人の「親切心」に助けてもらったという事例はたくさんある。

フランスのお題目はもちろん「自由・平等・博愛」で、これが「福音書的」と言われるものなのだが、ちゃんと憲法にも書かれている。

本来この「自由・平等・博愛」を突き進めると、日本国憲法九条と同じで、「絶対平和主義」しか行きつくところはない。

けれどもそれは無理なので、言っていることとやっていることがだいぶ違う。

それでも、どんなに揶揄されてもその「理念」だけは上書きしない。
それはそれで、大切なことだ。

で、ドイツの第一のお題目はどうも「民主主義」らしい。

第二次大戦のナチス全体主義への反省、反動から、「民主主義」絶対になった。

日本でも、国家神道と軍部独裁の敗北によって、「民主主義」が理想のお題目になった。
でもドイツと違って、ただのお題目で、それを支えるいろいろな方法の試行錯誤は見えない。

一方、イギリスやフランスなどでは、「民主主義」は今の時点で最も害のない政治体系に過ぎないと認識されているだけで、自負はあってもモットーにはならない。

フランスでも、ヴィシー政権の時代にモットーが「労働、祖国、家庭」になったように、「祖国」なんていうのを「国」が提唱するのはろくなことにならない。

けれども今のフランスでも軍隊の標語は「名誉、祖国」だ。
戦争をするときに「自由・平等・博愛」などと言っていられない。

逆に、国が主導して「祖国」や「愛国」を唱える時には、自由も平等も博愛も絶対に実現しない。

今のドイツの公式の標語は「統一、権利、自由」(Einigkeit und Recht und Freiheit) だけれど、これは敗戦後の東西の分断と全体主義化した社会主義のトラウマから来たものだろう。

ナチスの犠牲者の記念碑には

「平和と自由と民主主義のために。二度とファシズムを許さない」

と刻まれる。

テロに襲われた時、

フランスの大統領がそれをフランスの自由に対する宣戦布告だ、戦争だ、

というのと、

メルケル首相が、民主主義の価値観(オープンドアを含む)は揺るがない、

というのではニュアンスも違うし、拠って立つところも微妙に違う。。

そういえばメルケル首相は、トランプ次期大統領にも、

ほら、私たちは民主主義の価値観を共有している国同士ですよね、

という感じで牽制していた。

トランプは暴言にはオープンだけれど、オープンドア政策とは対極だ。

ベルリンのテロで、メルケルの民主主義を支える「開放」の精神は、否定されるのだろうか。

それともまだ、多くのドイツ人が「オープンドアの民主主義」をメルケルと共有しているのだろうか。

選挙は10ヶ月後である。
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by mariastella | 2016-12-22 02:29 | 雑感
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