L'art de croire             竹下節子ブログ

ポスト・トゥルースと宗教

ブレクジットとトランプ、英語圏のこの事件で急に脚光を浴びたのが「post-truth」という言葉だ。

ポスト真実とか訳されていて、要するに、一部の人や団体が自分への利益誘導するために都合のいい「真実」をでっちあげる、ような意味で使われている。

言い換えると、今はもう、あることが「真実」であるかどうかよりも、「真実」に見せかけることが重要であり、かつそれがメディア・バイアスやSNSのおかげで可能になる時代だということらしい。

思えばポスト・モダンだって、「モダン」、つまり近代において真実とされていた理念を相対化してたった一つの真実などないのだ、と言った面ではポスト・トゥルースだった。
そして、その後、ポスト・ポストモダンに振り戻ったのではなかっただろうか。
いや、振り戻ったというより、願わくば、螺旋状に回って回帰した?

人は「真実」を必要とする動物だから、相対化が進むと、「真実もどき」の産業によって分断されて食い尽くされる。

それよりはまだ、「老舗宗教」で宗教性を満足させておく方がリスクは少ないし、事実、戦後の日本人の多くは、「無宗教という名の宗教」で、「なんちゃって真実」を上手に使いまわしてきたともいえる。

でも、このポスト・トゥルースのトゥルースは、真実というより「事実」とか「現実」に近い。

宗教の文脈におけるトゥルースは、真実というより真理だろう。

イエスが「真理はあなたたちを自由にする」(ヨハネ8,32)

という時の真理は、まさに、ポスト・トゥルースなどで加工されるような現実や事実ではなくて、人間の手の届かないところにあるものだ。

私はこれまで、「何かが真実であるためには現実である必要はない」ということをいろいろなところで書いてきた。
その場合の真実とは、「真理に至る道」みたいなもので、それはたとえば、「事実」ではないとみなが認識しているフィクションを通しても表現できるものだ。

よくできた「映画」や「小説」を「体験」することで垣間見える「真実」があるのはみな知っている。

逆に、フィクションでなくてリアルであっても、簡単な手品の前でさえ「わー、すごい」と感心する自分の知覚など何の役にも立たない。

見かけの「不都合な事実」に対する人の態度にはいろいろある。

誰かが挙げていた次の四つの例。

車に乗って急いでいる時に運悪く赤信号に変わった場合。

 1. しょうがないから停止。
 2. ひょっとして青信号じゃないか?
3. 急いでいるんだから命がけでそのまま進む。
 4. 赤信号は他人への停止信号で私には進めという信号だ。

これを宗教風にアレンジすると、

「太陽は地球の周りをまわっている。見れば分かるだろう」

 1. その反対の可能性もあると思うけれど、実際回っているように見えるのだから、受け入れる。
 2.そんな説は間違っている。回っているのは地球。
 3. その説に反対してたとえ火炙りになっても地球は回る、と自説を曲げない。
 4. お説の通り、地球は太陽の周りをまわっている。(いつの間にかすり替わっている)

「われこそは神だ。帰依せよ」

 1, そう言われるのだから帰依する。
 2.そんな神は偽物に違いないから信じない。
 3. たとえ神罰があたっても「私の神」を信仰し続ける。
 4. 「神は私だって? その通り。」

余命宣告みたいなものを前にしたらどうだろう。

信じない、とか怒って抵抗するとか、の段階を経て最後は受容する、みたいなシェーマがよく紹介されているけれど、うーん、「死を信じない」というのもありそうだ。

「死じゃありません、死後の世界への再生です」「次の生まれ変わりの準備です」とか。

現実としての「死」がトゥルースとしたら、死後の世界ってまさにポスト・トゥルースかもしれない。

実は、キリスト教が宗教として成立した時の核には、この問題への回答があった。

それはよく言われているように、「キリストを信じたら永遠に生きるのです、主のもとに行けるのだから幸せです」みたいな単純なものではない。真理と現実をどう見るかという明確な提案がある。

仏教風の「この世は夢幻、執着を捨てて悟りの世界へ」とか、祖先信仰風の「死んだら先だった親や友達に会える楽しみがある」みたいなものとは違う。この説明を今書いているところだ。

「永遠に生きます」とか「復活します」とか「生まれ変われます」という言説だけではとても「受容」の境地に至れないタイプの私には、感情的にも合理的にも「おお、なかなかいいかも」という考え方だった。

結局、大切なのは死後でなくて、生きている間の「生き方」で、それを支えるのは何かということなのだ。
[PR]
by mariastella | 2017-01-27 00:12 | 宗教
<< バロック・バレーやバロック音楽... フランス大統領選 レバノンのマクロン >>



竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
以前の記事
2017年 11月
2017年 10月
2017年 09月
2017年 08月
2017年 07月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
カテゴリ
検索
タグ
最新の記事
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧