L'art de croire             竹下節子ブログ

マーティン・スコセッシの『沈黙』 をめぐって(その3)

映画『沈黙』の公開がいよいよ来週水曜に迫ったので<スコセッシ監督もフランスにプロモーションに来てあちこちでインタビューを受けていたのだが、なかには「へえー」っと思ったものもあった。
いろいろ考えさせられたので少しずつ紹介していこう。

それにしてもスコセッシの知名度は高いから話題にはなるけれど、フランスでの上映館はかなり少ないようだ。
観客動員を見こめそうにない映画という市場原理の方が監督の知名度に勝つということだろう。

今発売中のパリ・マッチ誌なんて、『ムーンライト』(これはわたしも観にいくつもり)を絶賛しているページの片すみに★2つの『沈黙』評がほんの少し。しかも、

「(宣教師が)天皇の審問官によって迫害」

なんていう事実誤認はまあいいとして、

「偉大なスコセッシは的外れで、私たちに、役柄に説得力を与えられなかったスターを使った長すぎる映画をおしつける。拷問の積み重ねもなんの感動ももたらさない。ラストはグロテスクだ。まあ、しょうがない、ZEN(冷静を保つこと)で行こう。」(評者Alain Spira)

という言われようだ。

アメリカでもなんだか「色モノ」という目で観られたり、イエスの言葉が聞えるシーンで観客から失笑が漏れたという話も聞いたけれど、フランスでの一般の反応はどうなるだろう。

スコセッシが、この映画をバチカンに持っていって教皇と会見し、イエズス会士らと共に試写を見てもらったこともよく知られているが、では、教皇と会ってどんな話をしたかというと、

質疑応答はただ一つ、

スコセッシが教皇に

「長崎に行ったことがありますか」と聞き、

教皇が

「ありません」と答えた。

教皇が日本に行ったことがないのはネットで調べたりイエズス会の誰かに聞いたりすればわかるでしょ。

(私なら、せっかくだから、「もし教皇がロドリゴの立場ならどうなさいますか?」と聞いちゃうかも。)

で、教皇からは、映画の成功を祈ってます、good luck、って言葉をいただいたそうで。

でも、スコセッシは大満足。

なぜなら、家族を引き連れてバチカン入りしたスコセッシの目的は多分、教皇からの「祝福」を受けること。
実際、家族全員を「祝福」してもらった。

カトリックの祝福というのは、神父が、物や人に大して神の恵みが働くよう願い求める行為だ。

教皇による祝福も、一司祭による祝福も、「神の救いの業」を想起するのだから「効き目」は変わらない。
でも、代々カトリックであるシチリア系のスコセッシにとっては、NYのリトル・イタリーのゲットーで育った自分が、なんと、バチカンで、ローマ教皇からの祝福を家族と共に受けられるなんて…。と、これがメインになっていたとしても全然不思議ではない。

特に『最後の誘惑』ではスキャンダルになったし、『クンドゥン』ではダライ・ラマに共感する映画を作ってるし、さあ、この辺で、名誉挽回、だと思ったのかどうか…。

(続く)
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by mariastella | 2017-02-05 00:33 | 映画
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竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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