L'art de croire             竹下節子ブログ

フランスとイスラム その9 ----イスラム圏の「独裁者」と過激派

次に、そもそもどうして今のイスラム過激派が形成されたかについて、次にカメル・ダウド(アルジェリアのジャーナリスト)の記事を要約しよう。

2012/9/16の記事より。

ベンガジ(リビア)のアメリカ領事館で起こった大使らの殺害とその後に公開された虐殺遺体の写真を前にしたヒラリー・クリントン(国務長官)は、「私たちが平和に寄与した町が、どうしてこんな仕打ちができるのか」と叫んだ。間違った視座から投げかけられた間違った問意だ。

欧米はみな、イスラム過激派は独裁者(ここではカダフィー)によって生み出された「犠牲者」なのだという解釈をしていた。欧米がカダフィーを倒したのだから感謝してもらえるはずだと。

実際は、イスラム過激派は、独裁者が用意した時限爆弾のようなもの、独裁者の遺産だ。

何十年もかけて、アラブ諸国の「体制」はイスラム進歩主義者を弾圧して原理主義者を応援してきた。

どこでも同じで、時として国家レベルで、時として保守政権と宗教権威との間の取引としてそれが準備されていた。アルジェリアでは目に見えていた。「アフリカ最大の国プロジェクト」が「アフリカ最大のモスクプロジェクト」へと取って替えられた。

イスラム過激派の数は増え、その野心は大きくなり、アルジェリア人に、彼らの信条、服装、典礼、考え方を強要した。
アルジェリアは、忍耐する政治とヒステリックな軍隊に二極化した。

イスラム圏の独裁者たちは「イスラム過激派を追い詰めて殺すべきだ」と公言していた。
それがかえって過激派の活動を刺激し拡大させ、そのことで「独裁体制は地域の安定を保つために必要不可欠だ」という理論が強化されたのだ。

欧米は、これら「独裁者」たちを自分たちに同化させることができる、あるいはプラグマティズムのもとに再教育できると信じた。

彼らと対話し、同盟関係を結べば、いつかは(欧米的な)「人間性」に合流できるだろうと考えたのだ。(続く)
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by mariastella | 2017-03-06 00:13 | 雑感
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竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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