L'art de croire             竹下節子ブログ

ニコラ・ブクリエフとロマン・デュリスの『告解』

3月にパリで観た映画、ニコラ・ブクリエフの『告解』は、原作がゴンクール賞受賞作の『レオン・モラン、司祭』で、第二次大戦中ドイツに占領された村でなんとか司牧を続ける若い司祭と、子連れの未亡人で共産主義者すなわち無神論者のレジスタンスの女性が告解室で出会い心を通わせる話だ。男たちが戦争に行って女たちが多い場所で人気を博す新司祭を苦々しく思ったバルニーは、告解室で司祭を観察して試そうとする。インテリ女性と揺らぎない信仰を持つ聖職者と、ナチスの支配する村の緊張。

この映画はジャン=ピエール・メルヴィル監督によって1961年にジャン=ポール・ベルモンドとエマニュエル・リヴァの主演で映画化されている。今回はそのリメイクで、未亡人でなく夫が逮捕されているバルニーに焦点を当てて描かれている。

主演はロマン・デュリスとマリーヌ・ヴァッチで、すごい心理戦が繰り広げられる。

バルニーが未亡人ではないのは、司祭の方にも彼女の方にも、恋愛にタブーを課すためだという。
監督は無神論者からカトリックに転向した人で、この映画は別にカトリック神父の独身制を批判したものではなく、愛が超越につながることを描きたかったのだという。

映画が終わった後、友達連れで見に来ていた3人の60代くらいの女性連れが、

「(結婚できるプロテスタントの)牧師の方がやっぱりいいよねー」などと言っている。

最近のカリスマ神父の結婚の話題があった後だから「やはりそこかい」と思ってしまう。別の女性が、

「牧師の方が小児性愛スキャンダルとかないしね」とも言う。

それはどうかなー。まあ奥さんが見張っているということはあるかもしれないけれど、特殊な少年愛の人が子供たちのリーダーとなるシチュエーション(クラブの先生、学校の先生、キャンプのリーダー)に置かれる場合、というのがリスクなんで、神父が独身だから即、っていうのは短絡でかわいそう。圧倒的に小児虐待の舞台になるのは「家庭」だという統計もあるんだし…と思っていたら、

そのすぐ後に続いた感想は、「戦争っていやねー、私たち戦争って知らないものねー」だった。

最後に移される針金のイエス人形みたいなもの(司祭が娘に作ってあげてこれが守ってくれるから一人で寝ても怖くないよと言った)が映る。これってスコセッシの『沈黙』のラストシーンのショットみたいだ。

結局は、中心となる恋愛そのものは、中学生同士の初恋物語みたいなのだけれど、愛と人間と神の関係もよくわかる。

自分たちの半径1メートルみたいな排他的世界で展開する愛って、絶対続かない。

高さも幅も深さも、2人の世界を超えた何かの愛に肯定されていると思わなくては、愛は「相愛」で成就した瞬間から枯れ始めて、衰退に向かうのかもしれない。
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by mariastella | 2017-04-12 00:08 | 映画
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