L'art de croire             竹下節子ブログ

復活祭の聖週間の始まりのカテドラルと桜

復活祭の聖週間の始まりは枝の主日だ。

エルサレムではシュロの葉だろうが、北のヨーロッパではもっぱら柘植の小枝で、一昔前のフランドルではどこのうちにも前の年に祝福してもらった枯れた小枝がおいてあった。

それは次の年に燃やされて灰の水曜日に額に塗ってもらう灰になるというリサイクル。

この写真で手前の人々が持っているのが柘植。

今では都会ならそれらしい大ぶりの葉を調達できるが、昔の田舎は本当に柘植一種だった。

基本なんでもよくて、自分のうちの庭の木の小枝を持って行ってOK。

教会はどこも歩いて行ける距離だからという事情もある。

何も持ってこなかった人に柘植の小枝を配って、小銭の献金を入れる場合もあるし、小枝を折って分け合うこともある。どんな枝でも聖水をふりかけてもらえば満足。

先日、生まれてはじめて日本の教会の枝の主日に参加したら、立派な葉っぱを、大きめのと小さめのとを選べるようにして全員に配っていた。

東京カテドラルの前は、人でいっぱいで、「ここだけ聖週間」という不思議なテーマパークみたいだった。

カテドラルには聖遺物が増えていて、フランス人の女性が、こういうのはルネサンス時代の巡礼者相手の金儲けだったから私は大嫌い、と、年配の日本女性にフランス語でまくし立てていた。

ミサの間に平和の儀とか平和の挨拶と呼ばれるものがあって、日本ではただ会釈するだけみたいな感じで席から離れないのだけれど、フランスでは、結構、席から移動して握手し合う。
抱き合う人もいればキスするカップルもいる。

東京のカテドラルでは隣がアメリカ人らしい女性2人(英語の式次第を読んでいた)だったので、つい握手の手を出すと、向こうもにっこりして握手したので、アメリカでもそれが普通なのかなあ、と思った。

目白の駅前の学習院大学の構内の桜が満開で「日本の復活祭」という趣があったので、インカルチュレーションってことで「桜の小枝の日曜日」にしたら奇麗なのに、お昼から聖水ならぬ雨が降ってきた。

一週間後にはもう花は散っているだろうけれど、復活祭には若葉も、よく似合う。
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by mariastella | 2017-04-13 03:21 | 宗教
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竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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