まず、往きの機内。
「この世界の片隅に」については以前に書いた。
他には、フランスでは観に行く気がしなかった『ラ・ラ・ランド』。
フランスでは、監督があまりにも、ジャック・ドミの映画に影響を受けた、「ロシュフォールの恋人たち」の衣装の色彩、「シェルブールの雨傘」の語り方、などと繰り返していたので なんだか新鮮味がなかったからだ。
実際、ファッションはロシュフォール風、失恋と再会はシェルブール風、だった。
若者の恋と別れというクラシックなテーマは前に機内で観た「
イフ・アイ・ステイ」を彷彿とさせた。でもあそこにあった自己犠牲テーマはここにない。
エマ・ストーンはかわいいけれど、男がちょっと若さに欠ける。
おもしろかった映画は「手紙は憶えている」だ。
90歳で、前日の記憶をなくす認知症気味の老人のロード・ムービー風構成そのものの意外さに加えて、途中でのショッキングな展開とラストのどんでん返し、と、よく出来過ぎ。ワグナーをピアノで弾けてしまうのも怖い。
何よりも、クリストファー・プラマーが主演というのが感無量だ。
「サウンド・オブ・ミュージック」のエーデルワイス、あれからもう半世紀以上経ったのだ。思えばあの頃のプラマーはまだ40歳前だったのだ。
彼の抑制の効いた謹厳な顔と、その奥にあるやさしさや温かさのギャップは、実に印象的だった。
それがこの映画では、大老人。
ナチハンターとして彼が追う人々も皆、当然90代の老人ばかり。でも、それゆえにこそ、彼らの表情のすべて、動作の全てが、実存的に迫力がある。シェイクスピア劇みたいだ。
亡命者、バイリンガル、秘密、カナダとの国境、どこを取ってもハラハラだし、なるほどと納得もいく。
プラマーが実はカナダ人で、この映画もカナダとドイツの共同制作という意味もなかなか興味深い。
日本人には、ユダヤ人もドイツ人もポーランド人も区別がつかない。
この映画のような逃亡の仕方は知られていてどのくらい発覚したのだろうか。
エドガー・ヒルゼンラートというホロコーストの生き残り作家がドイツ語で書いた『ナチと理髪師』という有名な小説があって、ドイツではなかなか出版されなかったちいうぐらい微妙な話なのだけれど、私の知っている限りでは、これが唯一、この映画のやり方につながっている。
フランスでは評価が分かれた。ホロコーストの記憶をスリラーの材料に使うこと自体を批判する人がいるからだ。私には十分楽しめた。