L'art de croire             竹下節子ブログ

マクロンとルペンのメーデー

これは前の記事の続きではありません。

5/3にマクロンとル・ペンのTV公開討論がある。

2002年にはシラクはル・ペン父との討論を拒否した。

今回は、すでに、第一回投票の前の候補者たちの公開討論にル・ペン女史が参加しているし、今になってマクロンが拒否ということはあり得ない。

いや、すでに前の討論でマクロンとル・ペン女史がかなり激しくやりあっているシーンがあったので、二人はやる気満々だろう。

それに比べると、アメリカナイズされて導入された同じ党内の予備選の公開討論というのは、互いに身内の欠点を指摘することになるから両刃の剣というか、その後の連帯に影を落とすし、実際、予備選で選ばれたフィヨンやアモンは、党内の敵対者を極右や極左や中道に吸収されて、今回敢え無く敗れている。

最終戦の候補者の討論というのもアメリカ発で、ニクソン対ケネディが初めだったそうだ。
フランスでは74年のジスカール=デスカンとミッテランが最初だったそうで、その時に若いジスカールがミッテランを「過去の人」と評した時にミッテランはうまく反論できず、7年後の同じ顔合わせの時に、今度はミッテランがジスカールを「過去の人」と逆襲して、初の社会党政権を勝ち取った。

昨日(4/30)の夜の公営放送で、ルペンとマクロンに別々のインタビューで同じ質問に答えさせるというのがあった。

15の質問で10分間の持ち時間。

ルペンは終始にこやか。大衆の怒りがあなたのモティヴェーションになっているかと聞かれて、「怒りではない、愛です」と、慈母路線を強調。

「ジャン=マリー・ル・ペンの娘」というレッテルから「戦う聖母路線」というのは正しい戦略だ。

マクロンは終始眉を吊りあげて戦闘的、若さとエネルギーを強調。

ルペンは、マクロンが現政権の大臣だったこと、つまり、「システム」の中枢にいたエリートであるということを忘れない。

マクロンは、ル・ペンが大衆だと自称するのはあり得ない、生まれた時から(実際は4歳)「党」があって、「城」に住んで、父親の後を継いだ、と強調。自分は地方の家に生まれ、母親に勧められた読書によって啓蒙され、私企業も公職も二度辞職して新しい使命に邁進している、という。

それを受けてか、今朝のラジオのインタビューでルペンは、マクロンのことを
「エマニュエル・オランド」、
「オランドのベビー」
「パパの後を継いでいる」と形容した。

自分が「ジャン= マリーの娘」と呼ばれることをそのまま返したわけだ。前にも書いたがマクロンはその実年齢だけでなく「見た目」も若いので、TVのギニョールではオランドとヴァルスの赤ん坊として描かれていた。それも意識しているのだろう。

過去三代の大統領を一言で形容するなら、

シラクは、「情緒的(愛情深い)」(ルペン)、「寛大」(マクロン)

サルコジは、「ブルドーザー」(ルペン)、「速い」(マクロン)

オランドは、「怠け者の王(何もしない王)」(ルペン)、「妨げられた(やりたいこと、やり始めたことをを完遂できなかった)」(マクロン)

だそうだ。

想定内の答えだが、二人とも質問内容は事前に知らせられていないようなので、一瞬沈黙があったりして、その割にはぼろを出さないのだから、「大統領の資質」は備えている。

5/3は「直接対決」だから、互いに相手がいかに「人々を欺いているか」を「証明」することにウェイトが置かれる。

それにしても、ルペンが、「エリート(プレス、起業家、組合)」をさんざん攻撃し、「私は大衆の一人、エリートではない、大衆だ」と断言した時には、

なんだか、吉本隆明が自分のことを「知識人ではない、大衆だ」と言っていたことを思い出した。

マクロンは「自分は大衆の知性に向けて語る」と言っていた。(これはむしろフランス人のメンタリティに合っている。)

さて今日は5/1で、これまでいつも連帯してデモ行進していた各種組合が分かれる。

これまでFNは組合の共通の敵だから、2002年のシラク対ルペンの決戦の前の5/1は百万人が「アンチFN」を掲げてデモをしてシラクに投票することを呼びかけた。

ところが今年は、メランション寄りの組合が「FNもマクロンもペストとコレラだ」というのでアンチFNだけでは合意できなかったのだ。

5/1はいつもFNがジャンヌ・ダルクをナショナリストのヒロインのように取り込む「祭り」でもある。

マクロンは今日、ミーティングの前に、過去の5/1にFNから「殺された」モロッコ人の追悼に出かけるという。

今日の夜には空気が変わっているのだろうか、変わっているとしたら、どう変わっているのだろう。

2002年にシラク対FNになった時のパニックに私は居合わせていなかった。
2002年の初めに実家の父が亡くなり、春休みに日本に帰っていたからだ。
決選投票の時にはフランスに戻っていたので、シラクの圧勝を見て安心していた。

今年はなんだか心配だし、その後の総選挙でどちらにしてもFNが議席を増やすと思うと怖い。
昨日、フランスの国内政治からリタイアしていたジャン=ルイ・ボルローがマクロン支持に駆けつけたことだけが、バイルーからの支援と共に、マクロンには追い風になると思うけれど。
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by mariastella | 2017-05-01 17:59 | フランス
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竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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