L'art de croire             竹下節子ブログ

聖遺物泥棒

今の時代に不思議だけれど、イタリアではここのところ聖遺物盗難が続けて発生しているそうだ。
ヨハネ=パウロ二世の血の入ったガラス容器が盗まれた後、ドン・ボスコの脳のかけらが入った聖遺物入れが盗まれたという。

日本のサレジオ会のドンボスコ社から本をだしていただいているご縁があるので、ニュースを聞いてドン・ボスコの名に反応してしまった。
彼の詳細な伝記も読んだことがあるし、青少年の教育者としてのドンボスコのいろいろなエピソードも読んだ。
けれども聖人である彼の聖遺物の種類などは調べたことがない。

今世紀に入ってから亡くなったヨハネ=パウロ二世くらいに新しい人は、「血」の聖遺物がたくさんある(東京カテドラルでも見た)のはなぜだろう。もちろんナポリで毎年液状化するという奇跡の聖ヤヌアリウス(ジェナーロ)の血のように有名なものもあるけれど、一番多いのはやはり聖遺骨であり、中世の聖人はもとよりリジューの聖テレーズのように比較的新しい聖人も、骨が仏舎利のように細分された。

ヨハネ=パウロ二世の遺体はバチカンに安置されているから、聖遺骨は分けられていないけれど、これも伝統的に聖遺物となる心臓はどこかに安置されているのだろうか。

私の見たり聞いたりした彼の体の聖遺物には、1981年に銃撃されて暗殺未遂となった時の血の付いた髪の毛というのがある。その時は、彼が亡くなるかもしれない、そうすれば現役教皇の殉教、即、列福列聖という連想が働いてその髪を切り取って保存した人がいたのだろうなあなどと想像してしまう。

で、21世紀の今、数年前に亡くなった人の骨だの内臓などを世界中にばらまくのは時代錯誤だということで、体の一部だけれど外部を損なわないで採取できる「血」なのだろうと思うが、亡くなった後に取ったのか、生前の血液検査での血を保存していたのか、などといろいろな想像をしてしまう。

どちらにしても、すべての聖遺物崇敬って、類推呪術にルーツがあると思うが、プラセーボ効果というのもあるから、「信ずるものは救われる」というのは納得がいく。
中世に聖遺物取引が一大マーケットになったのは、しかるべき効験あらたかな聖遺物を抱えた教会や修道院が巡礼地となって莫大な利益を生んだからでもある。

今は聖遺物の売買はカトリック教会からは禁止されているから、たまにオークションで出たりするとスキャンダルになる。

拝観に供する「聖遺物入れ」は古来金銀細工や宝石など立派なものが多いので、当然、その容器を目当ての窃盗はあったのかもしれない。

しかし今の時代に聖遺物だけを目当てに盗むとは思えない。

教会には「金属泥棒」がよく出没するので、今は監視されたり鍵をかけられたりするところが多い。銅などは高く売れるようだ。つまり、有機的な聖遺物が入っている容器(しかもガラスがあるから壊れやすくて持ち去るのにも不便?)でなくとも、泥棒にとってコストパフォーマンスのすぐれたものは他にいくらでもあるというわけだ。

売れもしない「聖遺物」を狙ってどうする。

そして、盗まれたドン・ボスコの聖遺物は「脳」の一部。

心臓を別に埋葬するのは聖人でなくてもヨーロッパでは普通に行われていた。
ハプスブルク家の遺体とと心臓は別々のところにあるし、ショパンも遺体はパリに、心臓はポーランドにある、など有名だ
一つの心臓をばらばらに切り刻んだ聖遺物は私は見たことがない。

骨というのはまあ、もともとひと続きではないから、ばらばらにしたりかけらにするのは抵抗が少ないのかもしれない。

でも、脳って。

脳のかけらって。

それを聖遺物として崇敬するって。

それが盗まれるって…

なんだか不思議だ。

個人的には自分が死んだら絶対に高温火葬の完全灰でどこかに撒かれるか、聖母のように体ごと「被昇天」で消え去るかがやっぱり理想だなあ、と思うけれど。
母が2008年に亡くなった後、「思い出の品」はたくさんもらったのだけれど、最初はそういうものに「よすが」を求めていたのかもしれないけれど、今となってはもう「思い出の品」に託す感傷も自分の中で消化し昇華してしまった感じがする。
誰にとっても、先に亡くなった「大切な人」の思い出の品は「聖遺物」となるけれど、「遺物」から卒業した時にようやく「聖なるもの」の灯がともるのかもしれない。

(追記 : その後、 ドンボスコ の脳の聖遺物は盗人の自宅のキッチンのティーポットに隠されていたのが発見されたというニュースがあった。これって、もちろんいろんな意味で「普通でない」にしても、やっぱり「イタリア」的なのだろうか、だとしたら、なぜ…?)


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by mariastella | 2017-07-12 01:26 | 宗教
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