L'art de croire             竹下節子ブログ

女性の罵詈雑言

何だか最近の日本で話題になっている女性議員の「罵詈雑言」についての意見を求められた。


私は、今はネットでの日本の雑誌配信サービスを利用できるのでこの話は週刊誌の記事ですでに知っていた。意見を求められたのでネットで録音をちらっと聞いてみた。

感想は…通り一遍に言われていること以上のものはない。

本人も含め関係者全員、お気の毒にと思うばかりだ。

思わないのは、「誰にでもこういうことを思うことはあり得るし時と場合によっては口にだってしかねない」というタイプの反応だ。

前にも舛添さんのことで書いたけれど、私は、他の人のどんなスキャンダルや隠していた「不都合なこと」が露にされてバッシングされても、たいていは身につまされる。

嘘も、裏切りも、使い込みも、身内びいきも、保身も、忖度も、ごますりも、程度の差こそあれ、いかにも自分でもしそうなことだったり、してきたことだったりだからだ。

また、今までにしてはいないしこれからも多分する機会はないにせよ、時代の流れや状況によって、また群集心理や恐怖やパニックにとらわれれば、弱者の虐待やら差別やらホロコーストへの加担や密告や、拷問や死に通ずるボタンを押すなどと恐ろしいことも、自分なら絶対にしないなどという自信はまったくない。

私は多分単独のすごい「ワル」ではないけれど、みんながやっているなら「石打ち刑」にでも参加しそうな危うさがあることを自覚する程度の良心はある。

その私が、「絶対にしない」というか「できない」と思うのが、罵詈雑言を口にするということなのだ。

多分、幼い頃に「禁忌」とされた言葉にはブロックがかかって、よほどの「治療」でも施さない限り音声言語化できないのだと思う。

私に関して言うと、多分戦争体験のトラウマなんだと思うけれど、いつも優しくて何でも好きなことをさせてくれた実家の母から、「死ぬ、死ね。殺す、」などの言葉には耐えられないから絶対に口にするな、とそれは真剣に訴えられた。

多分きょうだいげんかをしていて、それに類した言葉を兄や私が発していたのだろう。母は血相を変えて禁じた。その母の顔を私は今も覚えている。

だから私は、そのたぐいの言葉を、単独で発するということができない

「日本、死ね」とかいうようなネット語も、多分書けないし、誰かに憎しみを抱いたとしても、頭の中でさえその種の言葉を罵詈として形成できない。今回の女性の発したような言葉はどれも、私の口にできる語彙にない。

フランス語の方が若干、「ダメだろ、おい、」みたいな感じの口調はブロックされていないので口に出せるけれど、いわゆる汚言は、誰でも気軽に口にするようなものでも相当な決意がないと口にできないし、頭にも浮かばない。でもこれは幼い時の母の表情や真剣さとはセットになっていないから、無理をすれば出てくる。

けれども、フランスの子供でも、その言葉を小さい頃から禁じられており、家庭では絶対に耳にしない環境で育った場合に、学生になってから仲間といてハンディキャップになるほどに「口にすることが不可能になる」場合がある。それを「言わない」のではなく「言えない」ということが周囲にばれると揶揄されたりハラスメントを受けたりする可能性もあるので細心の注意を払うという。大人になってしまえば、汚言を口にできなくても別に深刻なハンディとはならない。

今度の罵詈雑言事件で、ある女性作家が自分は18歳までずっと母親からそのような暴言を浴びせられ続けてきた、とブログで書いていたのを目にした。よく耐えてきたものだと思う、と言う。

「汚言を口にするな」という母からの禁忌がこれだけ功を奏するのだから、暴言というDVを親から受けてきた人がそこから回復するのは大変な困難だろう、と思う。

今回の女性がどういう経緯でそういう言葉を口にできるのか私には分からない。議会で飛び交うヤジでさえ、私にはハードルが高い。

これは人格の高さとかとかは関係ない。

前述したように、どんな嘘やごまかしや背信だって私には多少の身の覚えがあるし、それに類したことをしないなどという自信は毛頭ないからだ。

ただ、ジル・ド・ラ・トゥーレット症候群のことを考えた。

長い間「悪魔就き」の典型的な症状のように思われていた時代もあった。「汚言症」というチックの一種で神経障害の難病だ。そうなると、普段口にするはずのない罵詈雑言や本人が知るはずのないような卑猥な言葉などがすごい勢いで発せられる。「悪魔払い」の映画などで少女や修道女などがこれを発するとそれこそ鬼気迫る印象的なシーンができあがる。

アルツハイマー病に罹った高齢女性で、昔は上品だったのに、急に怒りっぽくなって暴言を吐くようになったというケースを見たこともある。

私はいろいろな誘惑になびかないように努力はしているけれど、「暴言」を吐く心配だけはして来ずに済んだ。

願わくば、これまでひょっとして無意識に抑圧してきた罵詈雑言がどっと解放されるようなタイプの神経症や機能障害に縁がないままこの先も穏やかに暮らしていけますように。
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by mariastella | 2017-07-24 04:08 | 雑感
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竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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