La Décroissance という月刊新聞を私は時々購入することで応援している。
デクロワサンスというのは成長の反対で、衰退とか退行と解釈されがちだけれど、別に「昔に戻れ」と言っているわけではなく、「成長路線」を唯一善とするような世の中を批判して、別の道を歩もうというエコロジー新聞だ。
すべての「広告」に反対するというのがポリシー(主幹は元広告業界のアートディレクターだった人だがラディカルに反広告エコロジストになった)だから、全く広告収入がないので割高だけれど、存在し続けてほしい媒体なので時々買っている。
7-8月合併号の記事はとても参考になった。
私はどちらかと言うと、ディープ・エコロジストが苦手だ。
絶対菜食主義も、絶対殺生禁止も、「絶対」とつくものは警戒してしまう。
けれども、環境問題は科学とテクノロジーによって、言い換えれば「経済成長」によって必ず解決策を生み出せる、というタイプのエコロジーはうさん臭いとは思う。
原子力発電はCO2を排出しないクリアなエネルギーだという宣伝と同じで、巨大企業の利権や政治があまりにも透けて見えるからだ。
今回の記事は、環境問題に対して「成長による解決(要するに金による解決)」という積極的発言をする人たちの論点を一望にできるようにまとめてくれているのでなかなか役に立つ。
今の大統領や環境相も、極右ルペンも極左メランションも、「パリ協定」は今や」「国是」みたいなものだから、「エコロジー」「地球を救う」ということ自体は全員が口をそろえて言っている。
けれども、科学の力で、走れば走るほど空気をきれいにする自動車を開発するといった類のビジョンは、ロボットが進化すれば人間は苦しい労働から解放される、というたぐいのものと同じで、そもそも、なぜ、今のような環境危機を招く事態になるような方向で科学技術に予算が与えられてきたのかという根本的な問いがすっぽり抜けている。
技術の発展と環境保護は両立できるんですよ、という幻想には明らかにごまかしがある。
とはいえ、私など、
すでにいろいろなレベルで「洗脳」されてしまっている上に、
日常生活のレベルで自分も十分テクノロジーの恩恵を受けているからなあ、
テクノロジーがいまさら後戻りしてもらっては不便で困る、
私は自然の中でサバイバルなどと縁の遠い人間だし…
などという「共犯意識」が働くので、多分正論であろうこの新聞の過激な記事には、なるほどと思っても腰が引けてシニカルにながめることの方が多かった。
時々自分の罪悪感を確認することで、良心の呵責を弱めていただけなのかもしれない。
でも、今回の号で、そうそうたる論客たちが堂々と「テクノロジー」による「成長」によって環境汚染や温暖化などを克服できるという楽観主義をそろって開陳しているのを読むと、それがあまりにも説得力があるので、かえって、欺瞞点が見えてくる。
ところが、私の信頼するエリザベト・バダンテールの偽善が身も蓋もなく論じられているのには複雑な気がしてしまった。(続く)