ナポレオン二世の内臓や心臓がどこにあるのかは特定できなかった。
ヒトラーによって棺が運び出されたカプチーナ教会の墓所にはもちろん残っていない。
あるのはナポレオンの妻、ナポレオン二世の母マリー=ルイーズの棺だけ。
この墓所の立派な棺の装飾はすばらしい。フランス王の墓所が荒らされたことと比べて、オーストリアは革命がなかった国なのだなあ、とあらためて思う。
他の棺とは離れて「MARIA LUDOVIKA("LOUISE")」とフランス語表記も一応あって、「Franz Joseph, Herzog von Reichstadt, Sohn Napoleons Bonapart」とナポレオンの息子の母、とは記されている。
そんなナポレオン二世のゆかりの品に別のところで出あえた。
それは王宮の宝物博物館の中にあった、幼児用のベッドだ。
足元にあしらわれた鷲がエグロン(小鷲:1900年に、シラノ・ド・ベルジュラックで有名なエドモン・ロスタンの戯曲によってこの名を冠されて有名になった)を連想させて、200年前この中で眠っていた子供の運命に思いをはせてしまう。
追記: ここではつい感傷的に上のように書いたけれど、見ても分かるように本物のベッド仕様ではない。ナポレオン二世がウィーンに戻った時はもうこんなベッドは小さすぎるし。詳しく言うと、これはナポレオン二世となる「ローマ王」が誕生した時に喜んだナポレオンが妻のマリー・ルイーズにプレゼントしたものだ。いや正確にはパリ市からの忖度プレゼントだった。280kgの純銀を使った美術工芸品だ。これをウィーンまで持ってきたのは父のフランツ二世の考えだったのだろうか…