L'art de croire             竹下節子ブログ

ウィーンの話 その16 フリーメイスンとイルミナティ

ソリマンとモーツアルト(続き)


ハプスブルクのオーストリア帝国の社交界で完全に同化し受け入れられていたというより、人格も高潔で誰からも畏敬されていた黒人のソリマンが、フリーメイスンとなるのは1781年のことだ。

すでに60歳になっていた。同じ年に25歳のモーツァルトが、神聖ローマ帝国領のザルツブルク大司教コロレドに解雇されてウィーンで新生活を始めることになった。すでに名声が知れわたっていた天才はすぐにウィーンの社交界の支援を得た。フリーメイスンにはもともとアーティスト枠があって、ハイドンも常連だったからモーツアルトもすぐにロッジに出入りしたと思われる。

モーツアルト、ハイドン、ソリマンが出あったのもフリーメイスンのロッジだ。けれどもなぜかモーツァルトはハーモニーロッジでイニシエーションを受けていない。モーツアルトがイニシエーションを受けたのはハーモニーロッジより小規模の「慈善ロッジ」だった。最もこの二つのロッジは夏至の聖ヨハネ祭などを共同で開催している近い関係にあった。

「慈善」ロッジのグランマスターはオットー・フォン・ゲミンゲンで、彼は1778年にマンハイムでモーツアルトのパトロンだった。ゲミンゲンの紹介で同年にモーツアルトはパリのフリーメイスン作曲家で歌手のジョゼフ・ルグロらと出会っている。るグロはラモーのオペラで歌ったカウンターテナーで、モーツアルトと出会った時はコンセール・スピリチュエルを指揮してモーツアルトやハイドンに管弦楽を発注した。


フリーメイスンは貴族、アーティスト、啓蒙思想家たちのサロンという機能を果たしていたが、一応は「秘密結社」なので、その後の記録などがはっきりせず、文献によって異同がある。

1781年にウィーンのフリーメイスンの15人が「真のハーモニーへZur wahren Eintracht」という名の新しいロッジを作り、ソリマンはそこに迎えられて、たった4週間でマイスターの列に加えられた。ソリマンがそのロッジに友人のイグナス・フォン・ボーンを連れてきたと書いている人もいるが、逆に、1783年に全オーストリアのグランド・マスターであるフォン・ボーンによってソリマンがイニシエーションを受けたという人もいる。イグナス・フォン・ボーンがグランド・マスターとなったのは1782年だとする記述もある。

ソリマンは「ハーモニー」ロッジのグランド・マスターとなり「マシニッサ(紀元前3世紀の末にローマの支援で北アフリカのヌミディア王に即位したベルベル人だから黒人ではない)」と名乗ったともいう。

モーツァルトは『後宮からの誘拐』の大公セリムのイメージをソリマンからインスパイアされたとか『魔笛』のムーア人モノスタトスのモデルにしたとか言われている。ソリマンはバリバリの黒人で、トルコ人でもアラブ人でもベルベル人でもないが、当時のヨーロッパの感覚では、中南米のインディオでも北米インディアンでもトルコ人でもエジプト人でもなんでもエキゾチックという部分ではいっしょくただった。それは差別というより、ソリマン自身もエキゾチックなキャラクターを個性あるオーラとして利用していたのだろう。

当時のフリーメースンにはそういうエジプト趣味や秘教趣味が混然としていた。

ロッジに関するこれらの前後関係やヒエラルキーの異同について何が正しいのかは今の段階でチェックしていない。メイスン関係の記録の多くは破棄されたので第一次資料が少なく、確実なことは言えないのかもしれない。

一つ確かなことは、精錬技術に詳しい鉱物学者でトランシルヴァニア貴族であるフォン・ボーンの存在の意味だ。ソリマンの友人であったフォン・ポーンによってこのロッジが科学技術系になったということは確からしい。(ソリマンはコバルト鉱山に投資していたのだからそこからのつながりがあったのだろうか。)

フォン・ボーンはバイエルンのイルミナティのメンバーでもあった。

イルミナティというと、フリーメイスンと同じく今でも陰謀論の常連だが、17765月に結成されて1785年に禁止されたので短い期間しか存在しなかった。

フリーメイスンとの違いは、自由思想家、合理主義者らによる啓蒙活動団体としてフリーメイスンよりも過激だったことだろう。バイエルンもウィーンもカトリック文化圏で、メンバーはすべてカトリック信徒だった。

当時のドイツのカトリックはイエズス会に支配された保守的なものだったので、ラディカルな啓蒙主義者がイルミナティなどに向かったのだ。


フリーメイスンもイギリスのロイヤル・ソサエティに根を下ろしていたように、どちらも、もともと科学と親和性がある。エジプトの秘教趣味のせいで神秘主義やオカルトと混同されがちだけれど、古代趣味へと遡るのは、いろいろな宗教が分かれる以前の源泉となる普遍的なフィロゾフィアがあったはずだという探求心が原動力になっている。

フリーメイスンもイルミナティも当時は自由主義者と平和主義とアーティストの貴重な友好の場でありシンクタンクでもあったのだ。(続く)


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by mariastella | 2017-09-10 00:21 | フリーメイスン
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