L'art de croire             竹下節子ブログ

新刊のお知らせ

もうすぐサイトのコーナーにもアップしますが、10/6に、中公新書ラクレから新刊が出ます。


『キリスト教は「宗教」ではない』


というタイトルです。


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サイトにのせる著者コメントを一足先にここでアップします。


昨日、フランシスコ教皇が異端批判をされていることについての記事をアップして、あらためて「宗教」ではないキリスト教や、「宗教」であるローマ・カトリックについて考えさせられました。


「普遍」であるということ、この世のすべての人の自由と平等と安全に生きる権利、愛される権利を守る、ということを、「社会」秩序であり文化である「宗教」の中で実現していく、いや少しずつでもそこに向かっていくということの難しさを痛感します。


では、コメントのコピーです。

>>>長崎県の五島出身でノンフィクション作家の今井美沙子さんが「恩師」である福江教会の松下佐吉神父について語ったものに、努力すべきは、まずよき人間であること、次に、よき社会人であること、最後に、よきカトリック信者であることのために努力するようにという言葉があった。

まずカトリック信者であるならばカトリック信者としての物差しで計って、人を批判する材料になりがちである、まず良い人間であるよう努力し、次に社会人としての責任を果たすことがカトリック信者の物差しで「良き信者」になることに優先する、というものだ。

この三つは、私がこの新書で語った

「ひとりひとりの生き方としてのキリスト教」

「イズム(共同体の規範)としてのキリスト教」

「宗教としてのキリスト教」

に重なる。

「カトリック教会」の教義や典礼というのは歴史の文脈の中で生まれた「宗教」であって、その遵守を第一の指針として生きていくべきではないと松下神父は言っているわけだ。カトリック教会、という「宗教」のシステムの中でキイとなる立場の「司祭」である神父にこう言わせているところが、「良き人間とは何か」という問いであり続けるキリスト教の底力だなあと思う。

この本を書いた後で、この「宗教ではない」というタイトルが挑発的に聞こえるのではないかと少し心配して、知り合いのカトリックの司祭やカトリック雑誌の編集者などに話したことがある。みな拍子抜けするくらいに「ああ、いいですね」と言ってくれた。でもよく考えたら、教義や典礼は時と共に成立し、キリスト教世界でも時と場所によって多くのヴァリエーションがあるのだけれど、彼らが「クリスティアニズム」(キリスト教、キリスト主義)と自覚しているベースには、「宗教」とは別の、「いかに生きるべきか」というのがあるのだなあと再確認した。

一方で、いわゆる、「キリスト者」ではないある人からは、「護教的」だと言われた。これも意外だった。私は「宗教」としてのキリスト教やカトリックが「正しい」と言っているのではないからだ。

それでもこの本の中でカトリック教会の誕生と変遷が一つの導線になっているのはいくつかの理由がある。

日本を含む今のグローバル社会の「先進国」スタンダードが、過去にローマ帝国の版図に広がったローマ・カトリック教会の影響を正逆の方向性はあっても、ほぼそのまま受け継いでいるからだ。

プロテスタントの誕生も、近代革命も、政教分離も、不可知論や無神論さえも、ローマ・カトリック教会がケルト人やゲルマン人らの「蛮族」をまとめて今の「ヨーロッパ」を形成した基盤から生まれた。

私は、プロテスタントとの宗教戦争の後でカトリックを政治的に選択した「カトリック文化圏」フランスに住んでいる。そのフランスは、また、近代啓蒙思想の中心地のひとつでもあり、革命によって、プロテスタント諸国よりもはるかに世俗的な社会を築いてきた。しかも中央集権的で中華思想の強い国柄なので、何層にも複合する「物語」を何度も語りなおしたり創りなおしたりという跡が比較的よく見える。

それは、地政学的な共同体であるフランスを「普遍主義」の国として語ることの営為だ。そこに「無理」があったり「欺瞞」があったり「粉飾」があったりするのは当然だけれど、この「普遍」(「カトリック」は普遍という意味でもある)は、この国に住む日本人(しかも女性で今やシニアという弱者要素満載)である私にとってとても快適な「建前」であり続けた。

「愛国、忠誠、勇気」などが国是の国ではなく、「自由、平等、博愛」という「普遍」看板が掲げられている国だからこそ、マジョリティの白人であろうがマイノリティの人たちであろうが、いっしょにフランス・バロック音楽を語ったり演奏したり教えたりさえすんなりとできてきたのだ。

 その意味で、私は「普遍主義」の恩恵を受けてきた信奉者だから、その「建前」としてのフランスやカトリックに対して「護教」者であることは認めよう。

その「普遍という建前」が「フランス」という「国」や「カトリック」という「宗教」の枠内に閉じ込められない「本来」の意味を指している限りにおいて。<<<<


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by mariastella | 2017-10-03 01:38 | お知らせ
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