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L'art de croire             竹下節子ブログ

メヌエットをどう弾くか

フランス風の舞曲からなる「組曲」について、「舞曲」とはいっても実はその形式を借りているだけで各作曲家はそこで自分の語りたいことを奏でているのだから、実際にダンサーと共演するパフォーマンスでならともかく、コンサートピースとしての舞曲は踊ることを前提にして演奏される必要はない、そうするべきだとするのは、原理主義的な意見だ、と最近言われた。


私も昔からそういうことを耳にしていた。

バッハの無伴奏チェロ組曲など、ダンス曲の名前がついているけれどダンサーのための曲でなくまったくピュアなコンサートピースだとか、フランス・バロックのオペラ・バレエの曲でも、管弦楽でやる時はバレエ曲として弾くがチェンバロのヴァージョンではバレエのステップを前提とした制約を無視して別の独立したコンサート曲として弾くようにというような話だ。アメリカで数人のチェンバロの師に学んだチェンバロ奏者もそう話していた。(その方は、フランスでレッスンをうけてまさにカルチャー・ショックだと衝撃を受けたという)


ところが、フランス・バロックと名のつく曲は、どんな曲でも、ダンスと朗誦とを前提としていないと弾けない。それは、べつに、作られた時がそうだったから、それに忠実に弾かなくてはいけないという「原理主義」ではない。それがないと魂が抜け落ちる。


確かに、1970代にバロック音楽の研究が進んだ時には、まさにバロック・バレエの振り付け譜の解読から実はどのように弾かれていたのかが解明されたという経緯がある。

ベートーヴェンやモーツァルトは、たとえ伝言ゲームみたいに変化することはあっても、一応、彼らの生前から演奏されてきたのを聴いた人たちが次々と継承していったのだけれど、フランス・バロックのほとんどは、いったん完全に途切れた。

ドイツ=イタリア系音楽に席巻されたからだ。その理由などは『バロック音楽はなぜ癒すのか』に書いたことがある。


バレエの振付譜によって、体重の移動やバランスを助けるための附点の強調や装飾音のタイミングが分かってきた。それは画期的な発見だった。


当時のバロック奏者はほとんど未知の世界への冒険家だった。


でも、それが、「古楽器を使った古楽演奏」という妙な選民意識の醸成にもつながった。

21世紀にはそういう「原理主義者」が増えたのは確かだ。


私たちのトリオは、フランス・バロックの魅力を最もよく表現できるものとしてカスタマイズしたクラシックギターを使っている。古楽原理主義とは程遠い。ラモーに聴かせてあげたいといつも思う。

で、これも先に述べた本に書いたのだが、18世紀前半から中盤にかけて最高に洗練されたフランス・バロックの舞曲というのは、別にフランスでフランス人が作曲した曲というわけではない。当時、たとえば同じ作曲家がフランス組曲とイタリア組曲と別々に作曲していたように、一つの形式なのだ。それはバロック・バレエのステップを前提とした形式にほかならない。

バッハは16歳の時、つまり18世紀に入ったか入らないかの頃に、ドイツで舞曲をフランス語で学んでいる。子供たちともいっしょによく踊った。バッハの舞曲はほぼすべて、正統的なフランス・バロック・バレーの文法とステレオタイプを備えている。

当時の多くの作曲家がそうであったように、バッハは舞曲を作曲する時は確実にフランス・バロックの様式とエスプリで臨んでいるので、「形式だけ借りている」というわけではない。

踊る体の感覚を喚起するように作られている。

実際、友人のクリスティーヌ・ベイルが無伴奏チェロ組曲の第五番に振り付けて踊っているのを見ると、それがいかに「踊る」曲だったかということがよく分かる。


もっとも、数あるこの組曲の録音を聴くと、どのダンスでも、踊ることができるような演奏はほとんどない。みな速すぎる、ビブラートをかけて音を伸ばし過ぎるなど、まったくクラシックでロマンティックで思い入れたっぷりか名人芸の披露かというものだ。

私が一番共感したのは藤原真理さんの演奏だった。彼女ほどに弾きこめば、舞曲のエッセンスが自然に体得できるのだろう。

なぜバロック音楽が長い間ロマン派音楽のように弾かれていたのかには、いくつも理由がある。はっきりいって、フランス・バロックのエスプリがフランス革命によっていったん絶滅し、その後ナポレオン戦争によるヨーロッパ各地でナショナリズムが台頭し、ドイツのロマン派音楽がヘゲモニーを確立というのが一番大きい。

フランスだけは19世紀から20世紀にかけて、ナショナリズムにはいかずにエゾテリックな方向に行った。そしてフランス人は実は傲慢なくせになぜか自虐でいるのがよりエリートっぽいと思うらしく、フランスでも最も愛され、評価されたのが、ドイツ=イタリア系ロマン派音楽だった。「大バッハの発見と再評価」も完全にロマン派の文脈で起こった。

ショパンのポロネーズでポロネーズは踊れない、とか、モーツァルトの交響曲のメヌエットではメヌエットは踊れない、というのは事実だ。

それは彼らがすでにクラシックやロマン派のエスプリの作曲家だからで、彼らの時代にはもはやフランスのバロック・バレエはほぼ消滅していた。その後ロマンティック・バレエやロシアのクラシック・バレエへと進化するが音楽と体の関係はラディカルに変化する。

18世紀末以降のコンサートピースの中の「舞曲」には、最低限の形式以外にダンサーを想定するものは何もない。

でも、バッハは、ベートーヴェンやモーツァルトよりざっと100年近く前に生まれた人で、フランスのバロック・バレエを熟知していた。バッハの舞曲は踊る体を想定して書かれている。

日本からの帰りの飛行機の中で、オーディオ・サービスのクラシックの名曲というところに「メヌエット」というのがあった。「憩いのメヌエット」とあり、最初の解説で、「メヌエットはフランスに古くから伝わる優美な踊りです」と言われた。

実際のメヌエットは「憩い」でもなく「優美」を目指してもいず、空間にどのように動線を描いていくかという「移動」の単純ステップだ。でもステップのリズムが単純ではなく少しずつ体を揺さぶるようにできている。それを誘い出すように作られているし演奏しなければいけない。そうするとほんとうに気持ちがいい。

で、機内オーディオのメヌエットのセレクションが、ボッケリーニとバッハが二つと、モーツアルトの交響曲。フランスのものが一つもないのも象徴的だが、最後のモーツァルトがばりばりのドイツ・ロマン派風のカラヤンの指揮のものだというのにも驚いた。

踊れるメヌエットはもちろんひとつもなく、「憩い」となる「優美」なもので、まさに「解説」通りだった。

私はもう20年以上も音楽とバレエでフランス・バロック世界にいるのでもちろん「古楽器至上主義派」との対立や試行錯誤もあれば、常に新しい研究と発見の連続の中にいて、バロック音楽の世界も変化したなあ、と感慨を覚えるのだけれど、「『憩い』と『優美』なメヌエット」と言われていまだにカラヤンの指揮のものが流されるのが「普通」なのだと思うと、驚く。

帰りの機内、トリオの仲間は耳栓をして、ノートパソコンでラモーの複数のオペラ・バレエの総譜を延々と見ながら三台のギターによって弾かれる方がより美しいものをさらに20曲くらいピックアップしていた。

私たちはいつまでこの冒険を続けるのだろう。

ほんとうは、私たちの演奏を聴く側に回りたい。

弾きながら三人とも、いつも、そう思っている。


by mariastella | 2017-11-05 04:26 | 音楽
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竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/

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