『従属』Soumissionという小説で、フランスにイスラム教徒の大統領が生まれる近未来の小説で話題になったミシェル・ウエルベック(Michel Houellebecq)が、ネオ保守の雑誌のインタビューで、
フランスのイスラム教徒たちが満足するのは、フランスがカトリックを国教に戻してその上でイスラムを寛容にとり扱う時だ、
みたいな発言をしているという。
どの国でもマジョリティとマイノリティ、文化、伝統などが相対的な力で社会を動かしているから、彼の一見反動的な極論にも、なるほど、イスラム教徒にフランスでのマイノリティである立場と意識を自覚させれば感謝して謙虚に暮らすだろう、と納得する人もいるかもしれない。
でも、それをいうなら、エリザベス女王を首長とする「国教会」があって、国民全部がいったんは国教会に属するという形式が続くイギリスで、共同体主義の中でイスラム教条主義が横行していたりテロの標的にもなっていたりすることを説明できない。
フランスだって、いわば「ライシテ(フランス風政教分離)の共和国主義」そのものを「国教」としているような国なのだから、そのライシテの中で信教の自由を擁護されるムスリムが、「感謝」などしないで過激派に取り入れられてゆくことを説明できない。
ドイツでメルケル首相のマジョリティ連立政権の試みが、難民問題と環境問題で暗礁に乗り上げているのも心配だ。
過去に、彼女が難民百万人でもドイツはOKと言った時に、EUの他の国からは、現実を知らない理想主義だと叩かれるよりも、それはドイツの高齢化と労働力不足対策だなどと言われた。
彼女が難民OKというのは、「助けを求めて来るものをすべて受け入れるのはEUの精神に合致しているから」という建前だったので、その「正論」に踏み込むことはできずに、まるでそれがドイツの利己的なご都合主義であるかのように批判されたのだ。
私はメルケルの人道主義は本音だったと思う。
その本音を通せない現実との折り合いがつけられなかった。
前にも書いたことがあるけれど、ドイツのようにマッチョな社会で、メルケルが長期間政権を維持してきたことは不思議だ。もちろん好調な経済の後ろ盾があったにしろ、マクダ・ゲッベルスのような女性の悲劇を生んだ国で、しかも、「共産圏」に組み入れられた東ドイツ出身で、よくここまで来たなあと思う。
けれども、それをいうなら今のポーランドの首相ベアタ・シドゥオゥ(シェドワの表記もあり)の白人カトリック・ポーランドファーストもすごい。
今書いている本の中で、「共産主義はキリスト教最後の異端」という言葉があるのだけれど、
メルケル(ルター派)のキリスト教的信条とEUのキリスト教ルーツ、
ポーランドとカトリック、
この旧共産圏の二つの大国(東ドイツとポーランド)の二人の女性首相の対照的な姿勢と、
それぞれに向けられる国民の視線の違い
に感慨を覚える。
彼女らに比べたら、なんだかんだ言ってもフランスは苦労が足りないお花畑の男たちがのさばっているなあ、などとひそかに思う。