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L'art de croire             竹下節子ブログ

『オーケストラ・クラス』ラシド・アミ監督、カド・メラッド主演

最近観たフランス映画の続き。

『オーケストラ・クラス(原題メロディーLa Mélodie) 』ラシド・アミRachid Hami 監督、カド・メラッドKad Merad主演


これは暴力シーンも絶対にない精神衛生にいい映画。

50がらみのバイオリニストのシモンがパリの下町の中学1年のクラスでバイオリンを教えることになる。フランスで中1というと日本の6年生の年頃で、反抗期の一歩手前。フランスの小学校には音楽の授業がないから、親に地域の音楽院に登録してもらえなかった子供たちはドレミも読めない。

この映画はいわゆるfeel good movieで、社会的に恵まれない階層の子供が教育者に出会って人生に、未来に、意味と希望が生まれるというもの。その意味では予定調和の世界だ。

カド・メラッドというコメディのイメージが強い性格俳優が、バイオリニストのシモンを演じる。彼もまた、子供たちとの交流から人生の喜び、音楽のすばらしさを再発見するというストーリー。

音楽によって恵まれない子供たちを助けるという試みはいろいろな国にある。ベネズエラが有名で前にも少し書いた

フランスでも、この映画のモデルになったのは2010年から試みられているDémosという政策で、移民の子弟らが多い学区で3000人の子供たちに楽器を与え、教えて、オーケストラに参加して一流のホールで弾かせるというものだ。この映画では、リムスキーコルサコフのシェヘラザードをパリのフィルハーモニー・ホールで演奏する、という目標がたてられる。


去年の6月に、フィルハーモニーで200人のバイオリン(とビオラ)演奏に参加するために暗譜に励んだ私としては親近感あり過ぎ。私の場合はすでに音楽院の中級以上の生徒という条件付きでフランス中から小学生から85歳までが参加というむしろ「贅沢」な冒険だったのだけれど、大勢で、大ホールで、一つの音楽を創るというわくわく感は同じだ。

上演の後で監督のラシド・アミとの質疑応答があった。8歳以上の子供の参加がOKで、子供たちの質問がかわいかった。小学生に、どうして小学生でなくて中学生を使ったんですか ? と聞かれた監督は、12歳未満は一日に2時間までしか拘束できないこと、12歳からは4時間拘束できるので撮影が可能だった、と答えた。

パリとパリの近郊から、一度もバイオリンを弾いたことのない子供たちのオーディションをして15人選んだ。移民の子供(才能を見出されてソリストになる子供はセネガルから来た母子家庭という設定)などが中心なので、映画に出すためには両親の承諾が必要で、シングルマザーの子供のうち4人の父親を探し出してサインしてもらったが、父親に会ったこともない子供たちにはそのことを話せなかった、と言っていた。

映画には、途中で電線のショートで火災になり音楽室が使えなくなるというハプニングがあるのだが、それを心配した子供の質問に答えて、実はこの音楽室だけは、撮影のために特別に作ったもので、それを燃やしたのだという裏話も教えてくれた。

撮影にかけた三ヶ月のうちに、実際に、演技もさせ、バイオリン(鈴木メソード)も習わせてオーケストラと弾かせるという冒険に成功した。全員が、将来も役者になりたいと言い、5人がバイオリンを続ける、ソリスト役の少年はバイオリンの道に進むと言っているそうだ。


映画の中で、子供も、親たちも、実際にシモンが弾くバイオリンの音色に魅せられる。クラシック音楽の敷居が高いとかいうよりも、今の子供たちはイヤホンなどを通しての再生音楽以外はなかなか耳にする機会がないから、生の音楽に涙を流すほど感動するのだ。この辺の実感は分かる。

監督は、ゲットーの子供がバイオリンというノーブルな楽器を持っている姿にドラマを感じたので、管楽器ではなく敢えてバイオリンにした、と言う。

私はいつもは、こういう上映会の後の監督とのディスカッションには積極的に発言するタイプなのだけれど、今回は終始聞くだけにした。

ビオラ弾きでカルテットもやるし、フィルハーモニーでのオーケストラとの共演もし、生徒との交流も仲間とのコンサートもある私にとっては、この映画はいろいろツボにはまりすぎているからこそ満足したのだけれど、それだけに「普通の観客」の視点を持てない。

よけいな突っ込みどころが多すぎるのだ。

映画の中で、カルテットの一員として演奏旅行が決まったシモンが中学校での仕事を途中でやめる、というのだけれど、最初のパリの聖堂でのコンサートの後で、結局、演奏旅行をキャンセルして子供たちの指導を続けることになる。その理由は、聖堂でのコンサートの後で、喜びを感じられなかった、子供たちと音楽をやっている時の方が喜びを感じられることが分かったから、というものだ。

シナリオとしては納得がいくけれど、演奏家としてはまったく信じられない。

あのような場所でモーツアルトのディベルティメントをあのようなパート(第二バイオリン)で弾いた後で「喜びを感じられない」なんてあり得ない。

責任感から子供たちの指導を続けるとしても、カルテットでの演奏旅行の方が絶対にいい。演奏者としてのクオリティ・オブ・ライフとしては比較にならない。

ラストのフィルハーモニーでのシーンも、本番でソリストの少年のうまさに指揮者が驚いたような顔をするのが信じられない。これもシナリオ的には、最初の合わせでひどいレベルだと絶望したシーンがあるので、本番での「奇跡」に指揮者がうなる、という筋書きは分かるけれど、本番の前にさらに何度もリハーサルがあったはずで、フィルハーモニーのリハーサル室や、舞台でもすでに合わせているはずだから、そんな意外性があるわけがない。

バイオリンがノーブルな楽器というのも実は今のフランスの下町の公立音楽院では逆だ。ピアノは自宅にピアノを個人でレンタルするか購入するかが必要だけれど、バイオリンやビオラは、子供用のサイズのものが音楽院から貸し出される。だからシューズやレオタードなどが必要なバレエなどと比べても、バイオリンの方が気楽で子供を通わせることが多い(親の所得が少なければレッスン料も限りなく安くなる)。だから、ピアノのクラスに比べてバイオリンのクラスの方が明らかに外国人の子供や移民の子供が多い。ただし、親がフォローしないので、その多くは途中でやめていくし、学年末の試験で振り落とされる。

他にも不満はある。この映画でシモンが弾いて子供たちや親を感動させるソロ曲はメンデルスゾーンのコンチェルトにバッハのパルティータだ。生徒二人を招いたコンサートで弾いたのはモーツアルト、クライマックスの課題曲がリムスキーコルサコフという選曲。

まあ、リムスキーコルサコフはかなりフランス的な色彩はあるけれど、そして、ソリストの少年を際立たせる効果のために選んだそうだけれど、実際にこの種のプロジェクトの課題曲としては向いていないので不自然だ。

バッハのパルティータのシャコンヌもフランス舞曲風とは程遠い弾かれ方だし…。フランスが舞台の音楽ストーリーなのにフランス音楽が一つもなく、「クラシック音楽=ノーブル=バイオリン=ドイツ音楽」のような先入観に立つのはいかがなものか…

などと、小さな違和感が積み重なる。

もちろん私が知らない世界がテーマの映画なら、ディティールにおいてどんな不自然な場面や考証のエラーやご都合主義があったとしても、それに気づかないだろうし、気にもしないし、それが映画のフィクション世界を妨げることもない。

あまりにも身近なので気になるのだ。

自分もアルジェリア生まれでパリ近郊の貧しい町で育ったという32歳の監督は、中学校で働いたこともあるが6ヶ月しか続かなかったという。小学生の子供が「どうして映画の中の生徒たちは悪い言葉ばかり使うのですか?」と質問したら、「子供に見せるためにもっと上品な言葉を使うことしたらそれは現実とは違うことになる、ぼくもこういう言葉を使っていたし、今も子供たちはこういう風にしゃべっている、ありのままを撮っただけだ」と答えた。

19ヶ国の上映が決まっているそうで、イタリア、アンダルシア、韓国での上映に出席したそうだ。生徒たちの大半が黒人やアラブ系などであることはフランスのサッカーチームと同じで違和感は持たれない、などとも言っていた。

こうなると、この映画の社会的背景はある意味で私と遠いところにあるわけで、弦楽器、フィルハーモニー、生徒に教える、などという共通点がある分、かえって断絶も感じる。

シモンのセリフの中で実感があると思ったのは、「どこにでも才能のある子とまるでダメな子とがいる」と言い切るところだ。

才能のある子もゼロの子もいっしょにグループとして何かを作り上げていくことは難しい。バイオリンがダメでも、スポーツやダンスの才能があったり、絵の才能があったりする子、数学の才能がある子などはいるだろう。でもそんな子供たちはこのプロジェクトにとってはお荷物であり、本人にも苦痛かもしれない。教える方にとっても喜びがない。こういう自明な多様性があるはずなのに、貧しい子供にもバイオリンとクラシック音楽を与えると人生の道が開ける、みたいなオプティミズムにも違和感がある。

今の日本は知らないけれど、私の小中学校の頃は、全員がなんでもかんでもやらされた。嫌いな科目、不得手な科目に苦しんだ者も多かったかもしれないけれど、少なくとも、自分は何が嫌いなのか、不得手なのかを自覚する役にはたったかもしれない。

小学生の頃から私がピアノを教えている生徒が今は高校三年になり、来年のバカロレアで、理系バカロレアのオプションとして音楽も受けるというので、自由曲を準備させている。最初は、フランスであまり知られていないドイツ・ロマン派の曲を練習させていたのだけれど、今年のテーマがかなり現代的なものだということが分かって、サティに切り替えたところだ。ラヴェルの左手のためのコンチェルトなど10曲の課題曲から二つをくじで引いて、当たった曲の作曲者や時代背景や音楽の構成などを審査員の前で発表し、質問に答え、それから自由曲の実技を披露する。その曲の背景の説明や、課題曲との関係も話さなければならない。

私のトリオのメンバーのHは音楽バカロレアの審査員も毎年しているので、アドバイスをもらうつもりだけれど、私の生徒のリセでは、専任の担当教師がいない。私が全部、準備を助ける。

オプションなので、自分の平均点を下回る点数である場合は計算に入れられないので、失敗してバカロレアの平均点の足を引っ張ることにはならないが、受験準備だけでも結構時間は取られる。でも、ここでこの10曲についてしっかり学べば、これからの人生の「教養資産」になると思うよ、と私は彼女に言った。

彼女も私の個人レッスンをずっと受けているのだし、クラシック・バレーもずっとやっていて、私立の進学校に通ってエリートコースを目指しているのだから、「貧しい家庭の子供たちに楽器を教える」冒険などとは程遠い。でも、楽器演奏という純粋にテクニックの習得とそれを超える音と音の間に出現する「音楽」と、曲を通しての作曲家との出会い、時代との出会い、人間性の普遍との出会い、などから生まれる錬金術のようなマジックの瞬間を共有する体験は、何物にも代えがたい。彼女にとっても、私にとっても。

ある曲の演奏について彼女の感性と私の感性がぴったり一致したような時は、その部分でとても特別な関係性が生まれる。


一対一(正確には作曲家も合わせて三人だけれど)の贅沢というのが私にはちょうどいいサイズなのかもしれない。


by mariastella | 2017-11-28 00:05 | 映画
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竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/

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