『Le Brio』イヴァン・アタル監督最近のフランス映画をもう少し。まず、 『Le Brio』イヴァン・アタルIvan Attal 監督 . ダニエル・オトゥイユ Daniel Auteuil, カメリア・ジョルダナCamélia Jordana パリ南郊外で育った「アラブ系」のネイラがアサスのパリ大学法学部へ。 ブルジョワ子弟風が多い学生たちといっしょにネイラが建物に入ろうとすると黒人の警備員が学生証の提示を求める。 ユニークなのは、『メロディ』のように、二つの別々の世界、別々の世代が出会って、才能にほれ込んでメンターになる、というのではなく、ピエール・マザール教授が最初から差別主義者で、講義に遅れてきたネイラに差別的発言をしたことだ。それが問題になり、懲罰委員会にかけられる前に、「多様性を尊重」する証明としてネイラを弁論大会に出すために訓練しなければいけない羽目になる。 つまり、出発点にルサンチマンや相互の憎悪があるわけだ。 大学の講堂で学生たちがすぐに、教授の言葉に反応して「差別だ差別だ」と騒ぐこと自体がフランス的ではあるけれど、それは「偽善」でもあることも分かる。 今の学生たちがほとんどノートパソコンを持って講義を聴いていること、教授の差別的言辞などはスマートフォンで録画され、facebookに上げられることなどは、どこの大学でもそうかもしれないけれど、今の私から見たら、こんなところで講義もしたくないし、講義も受けたくない、という感じがした。 バカロレアに合格すれば原則的には誰でも講義に出ることができるので、昔のアサスも一年目は学生の私語などがもっと多かった、今はもっとひどいんじゃないか、という人もいる。私はソルボンヌの大講堂で受けた講義などもう40年前だけれど、普通に静かだったような気がする。1年生用ではなかったけれど。 でも、学生が多すぎて、教授が遠すぎて、集中もできずにすぐ眠たくなったので途中でやめた記憶がある。日本の大学でも最初の2年くらいは大教室での講義に出たことがあり、全共闘がやってきて中止させるということがたまにあったけれど、まあ、普通だったし、眠らないために大抵は前の席に座ることにしていた。 アサスもよく知っているのでなんとなく懐かしい。 で、弁論大会(大学対抗であり、アサスは最近優勝者を出していない)の準備をさせるための個人授業が始まる。ネイラは自分が教授のアリバイ作りに加担させられているとは知らない。 ネイラは少しずつ地元の幼友達たちと別の世界に生きていることに気づくようになる。 シングルマザーと暮らしている。 教授は独身で、老いた母ともうまくいっていない。 大学教授で教養もあるが実は孤独で気難しく誰ともいい関係を築けない。 ネイラも教授も、ある意味で典型的でカリカチュラルなシチュエーションだ。 社会寓話という感じになっている。 この2人は互いの偏見を乗り越えることはできるのか ? そして、古典や哲学の知識とか弁論術のスキルなどの高度な教養はどのように教えたり学んだりして継承するのか ? 教授はネイラにメトロの中でテキストを大声で読ませたり、高齢者に話しかけさせたりと、さまざまな方法で訓練する。ネイラと一緒にフランス各地の大学(フランスは基本的には国立大学しかない)を回って予選を勝ち抜いていく。決勝はもちろんパリだ。 これが子供たちの成功と満場の拍手というような『メロディ』風の予定調和なら、当然、最後に優勝してハッピーエンドとなっても不思議ではないが、実は思いがけない息をのむラストになっている。 ネイラ役のカメリア・ジョルダナはいわゆるアラブ系と言われるアルジェリア人の両親を持つが両親ともに歌手というブルジョワ家庭に育っているので、この映画での「役」とは重ならない。監督のイヴァン・アタルはアルジェリアから引き揚げてきたユダヤ人家庭の子供で、映画の舞台であるパリ南の郊外の町で実際に育った。 ショーペンハウエルの『争論弁証法』(必ず言い負かす技術)にある「戦略」を徹底的に叩き込まれる。真実などはどうでもいい、論理や分析や哲学も関係なく、ただ、論争に勝つための実用的技術、手練手管というものだ。ポスト・トゥルースの走り。 それを軸にして、ラブレー、ニーチェなども援用される。 この本は日本で何と訳されているのだろうかと検索してみたら、岩波文庫の『知性について』の中で「論理学と弁証法の余論」として収録されているようだ。日本語の要約がないかと探してみたら、ある感想文の中に一部があった。こういうものだ。 >>>第七戦術…拡張解釈の手。論敵の主張を――その当然の限度以上に押し広げ――彼が意図しあるいは明言した範囲以上に広い意味に受取り、このように拡大解釈されたテーゼをわけもなく反駁する手。 etc,etc… なんだか国会答弁で「野党からの追及のかわし方」として、使われているごとくだ。 映画の弁論のシーンは、なかなかいい。戦略だけでなく、ネイラの恋愛なども反映されていて説得力がある。弁論スキルの中にネイラにはどこか「真実」があるのだ。 ダニエル・オトゥイユは名優だが、なんだかファブリス・ルキーニとキャラがかぶるイメージだった。ルキーニ・ヴァージョンも見てみたくなる。 スケールはささやかだが私好みで気にいった映画だけれど、弁論シーンをはじめ、「フランス語」のおもしろさが際立っている映画だから、例えば日本で字幕上映されたりしたらどの程度伝わるのだろう。 特筆すべきはネイラの幼馴染の青年で、大学生になったネイラからメールでも綴りを訂正されたり、しゃべり方や語彙についても注意を受けたりするなど、ネイラが自然に「上から目線」になったことも感じながら、その愛情は変わらないし、クライマックスシーンに大きな役割を果たす。 その前にネイラは彼のことを評して「まっすぐで、曲がらなく、恐れもなく、刃物のような人」のようないろいろな形容をする。それを聞いているだけで、彼女が、彼の環境や教養や学歴や仕事などと関係なく、人間として最も大切な部分を把握していて、それがどんなに稀で、すばらしいことかということを理解していることが分かる。 幼い時からのつきあいで、見抜いていたのだ。 こういう「絶対にぶれない信頼のおける男」というのは、少数だけれどどの世界にもいる。ネイラがそれを見抜く力があってよかった。 この映画の設定だったら、メンターとなる教授とネイラの間に疑似恋愛が成立するというシナリオでも不思議ではなかったのに、短いシーンで若い恋人たちの心の機微をきっちりと描いて、愛するとはどういうことなのかを見せているのはすばらしい。カメラワークによる表現力もすぐれていて満足。
by mariastella
| 2017-12-01 00:05
| 映画
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