「主の祈り」をめぐって その412/3、待降節第一日曜は、新しい「主の祈り」を唱和させるためにどういう工夫がされるのか、ルヴェリエ師なら何と説明するのか、説教にも反映させるのか、などと、興味津々でビュットショーモンの被昇天ノートルダム教会のミサに行った。 ところがルヴェリエ師は欠席していた。来週は来るという。 代わりにミサを司式したのは若い黒人司祭で、コートジボワールのアビジャンで叙階され、ストラスブールで神学を勉強中のヌアマンさんだった。ルヴェリエ師を見ているからか、がんばって声を張り上げて話すのだが、訛りがよけいに目立ってとても聞きづらい。日本で聞いたことがあるアメリカ人司祭、フィリピン司祭の日本語ミサのことを思い出した。どちらも聞きづらかったし、典礼文での明らかな発音のミスもあった。コートジボワールはフランス語が公用語だけれど、訛りは聞き取りにくい。フランス海外県の人のクレオールでも、訛りというよりはっきり発音が違う場合もある。 フランスにもアフリカ系の司祭は少なくないし、普通なら気にならないけれど、わざわざルヴェリエ師の雄弁を聴きに来たのだからがっかりした。日本でも、説教のうまい雄弁な司祭のところには大勢の人が集まるが、その気持ちがはじめて分かる。 そればかりではない。このミサでは、目当てのルヴェリエ師がいなかっただけでなく、いつもなら用意してある式次第で声を出して歌える歌詞が書いてあるものがなかったのだ。壁にそれが映写されたかと思うとすぐに消えた。 要するに、これからは無駄をなくして経費も節減して、式次第はすべて映写式にするということらしいのだけれど、まだ試みの段階で、それがうまくいかなかったわけだ。で、私のように歌詞を見ないと歌えないような人は斉唱に参加できず、時間が流れるのが長い。 そのせいでいろんなことを考えてしまった。 待降節というのはイエスの誕生を待つ希望の時だけれど、同時に終末の時、イエスの再臨、最後の審判に臨むために準備する期間というのがかぶっている。で、その時はいつくるのか、という質問に、日も時間も分からないし、夜に突然やってくるかもしれないのだから、いつ来てもいいように準備していなさい、みたいな話から始まる。 今までは、ああ、そうですか、としか考えなかったけれど、年齢のせいか、まさに、「死」はいつ来るかもしれないのだからちゃんと「終活」しなさい、と言われている気がした。終末論は陰謀論のヴァリエーションだと書いたことがあるけれど、年齢や体調によっては本当に焦ってしまうことがある。 で、待降節が希望の時と言っても、何をしても絶対に救われるというのなら、別に救世主が生まれるのを待望しなくてすむ、闇があるからこそ、光を求め、光が見え、希望の時になるのだ、と説明される。私たちはバビロンに捕囚されているイスラエルの民と同じ状態なのだ、と。 私は何となく、一四世紀の福者ノリッジのジュリアン(この人のイコンに猫を抱いているものがある。これとかこれ。いつかまた書こう)のことを思い浮かべた。 この人はいわゆる見神者で、イエスのことを天の母と呼び、何度もイエスの姿を見てお告げを聴いて書き留めているので有名なのだが、その中でも特によく知られているフレーズがある。 罪を犯した人は救われないのか、と悩んだ時に、イエスから「すべてはうまくいく」と言われたという「all shall be well」というのは、メダルのアクセサリーにも刻まれている。 実際は、 “In myfolly, before this time I often wondered why, by the great foreseeing wisdom ofGod, the onset of sin was not prevented: for then, I thought, all should havebeen well. This impulse [of thought] was much to be avoided, but nevertheless Imourned and sorrowed because of it, without reason and discretion. “ButJesus, who in this vision informed me of all that is needed by me, answeredwith these words and said: ‘It was necessary that there should be sin; but allshall be well, and all shall be well, and all manner of thing shall bewell.' こういう文脈なのだけれど、そして全員が救われると言っても、別に幸せに暮らせるというのではなく死後に永遠の命をもらえるということなのだが、この「すべてうまくいく」という楽観的な言葉が独り歩きしている。 (日本語で何かないかと検索したら、大学の紀要に出てきた。このp60から。) 「万事はしかるべくいくものなり。そして汝は自分自身の目で、すべて の物事がしかるべくいくことを目にするものなり」(p69)がこれにあたるのだろう。 まあ、今の時代の普通の人には、いくら「万人救済説(これについては『ユダ(中央公論新社)』でも書いている)」で、何をしてもゆるされて最終的には天国に行けるとか言われても、それだけで今ここでの苦しみや後悔や罪悪感などが解消するとも思えないけれど、 「but all shall be well,and all shall be well, and all manner of thing shall be well.」とたたみかけてもらえること自体が確かに救いにならないでもない。(続く)
by mariastella
| 2017-12-06 00:05
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