ルヴェリエ師の話を聞けなかった12月3 日。
これならうちでTVミサを見ていた方がよかったかも。
と、実際、後で、ネットでアランソンのカテドラルのミサを視聴してみた。
この50m29から51m23で、今から新しい主の祈りですが、みなさんの席に教区が配布した紙がありますからそれを見てご一緒に、と言って、同じ聖霊の中で唱えるのが大事、として新しい祈りが唱和されている。その前の説教では何の説明もない。
なるほど、雑誌や出版物が大騒ぎしている一方で、この変化はあっさりと、ミニマムに、さりげなく取り扱おうという合意があるのかもしれない。
実は19区の教会でも、新しい主の祈りのプリントが用意されていたのだけれど、それは入り口に置いてあっただけで、席にはなかったし、「みなさん、プリントを持っていますか ? それを見てご一緒に」なんて言われなかった。
私も出る時にやっと気づいた。しかも、アヴェ・マリアの祈りのプリント(これも初めて見たが、別に訳は変わっていない)と並べてさりげなく置いてある。
主の祈りの訳の変化の理由にはどういう神学的配慮があるのか、という疑問をミニマムにするためのさりげなさなのかなあ、などと考える。
保守的なエリート新司祭B君の意見も聞いてみなくては。(続く)