L'art de croire             竹下節子ブログ

ボストンのバーナード・ロー大司教とパルトニアのガイヨー司教

1216日、ボストン名誉大司教バーナード・ロー師が86歳で、ローマで亡くなった。

この人のことを思うとすごく複雑だ。

アメリカで第四のカトリック信者数、200万人(大部分はアイルランド系)をかかえるボストン大司教区の大司教にまで上り詰めた人だ。枢機卿でもある。

宗教者として優れた人であったことは間違いないはずだ。

両親のいたメキシコで生まれて、ラテンアメリカ事情に強く、キューバの経済封鎖法に激しく反対するなど、アメリカ帝国主義に敵対した。カストロ議長とも電話で直接話しあった。

ハーバード大学で中世史を専攻したのに、召命に従って司祭となり、貧しいミシシッピーで司祭生活を開始した。エイズ患者に寄り添い、黒人やヒスパニックの貧しい人々を助け、ベトナム人難民センターも作った。公民権運動に奔走した。

そんな人なのに、2002年の1/6のボストン・グローブ紙の朝刊で発覚した聖職者による少年の性虐待スキャンダルのスクープで責任を問われて辞職した。4月に出した辞職願いは拒否され、12月にようやく受理された。それ以来、ローマに住み、晩年は長い闘病の末に亡くなったのだ。

このアメリカの聖職者スキャンダルはピューリッツァ賞を受賞し、映画にもなって、世界中に喧伝されて、あちこちに飛び火した。

ボストン大司教区は60年間で237人の司祭による1000人の被害者を数えるという。

2002年の時点ですでに50億円の示談金が支払われていて、2002年からの400人による訴訟でさらに100億円以上の罰金を課せられて、裕福だった大司教区は破産した。

バーナード・ロー師は、問題が発覚した司祭に対して教区を異動させるだけで放置した。その結果、複数の教区で30年の間に130人の少年を虐待していた司祭もいる。

彼の責任は重い。

けれども、どんなに調査されても、本人そのものはまったく嫌疑がかけられていない。

常に弱者に寄り添ってきた彼にとっては、少年にセクハラをする司祭の心理などまったく想像できなかったのだろう。

もちろん、アイルランドやフランスでもそうだが、閉ざされた教会の体質もあるし、「習慣」もあるし、性的被害は、レイプでもなんでも、公けにしない方が被害者のためにもいい、という、ついこの前までの「世間の常識」もあっただろう。

ことが発覚した後で、ベネディクト16世がこの件に関しては「トレランス・ゼロ」、絶対不寛容、を明言した。

家庭内にしろ、学校や部活など教育の場にしろ、教会の合唱隊やボーイスカウトなどの場にしろ、権威と権力を有する大人が未成年に対して性的な暴力を加えることなど、快楽殺人と同じくらい罪は重い。

それを闇に葬ったばかりか、問題司祭を別の場所に異動させて放置した責任は重大だ。

もちろんバーナード・ロー師もそのことを深く謝罪している。

彼は71歳から86歳までの亡命に近いローマでの生活で、枢機卿のタイトルは取り上げられなかったし名誉職も与えられたけれど、実質的に謹慎生活を送った。

彼の後悔、慚愧の念はいかばかりだっただろう。

この人は、本当は、いつも、弱者を助ける現場にいたかったんだろうと思う。

司教の任務は信徒の世話ではなくて司祭たちの世話だ。

でも、彼が本当にしたかったのは、尊厳を奪われている人々の世話や支援だったのだろうと思う。

フランスのノルマンディにガイヨー司教という人がいた。

彼も司教区の世話をしないで、ホームレス、労働者、ジプシー、兵役拒否者、移民、難民の側にばかりいて戦っていたから、何度も戒告を受けた。

とうとうバチカンに呼ばれて、辞職願を出せと迫られた。そうすれば名誉司教となる。拒否したのでアフリカにあるもう存在しない教区パルトニアの司教に任命された。司教や司祭のタイトルを剥奪することはできない。それは聖霊による秘跡で授けられたものだからだ。


で、82歳になる今もガイヨー司教はパリの「現場」で戦っている。


2015年にはバチカンに呼ばれた。 


「我々を自由にし解放しに来たキリストを教会に閉じ込めてはいけない」、というところで、ローマ司教(ローマ教皇のこと)とパルトニア司教が一致したのだ。

私からの憐みなんか必要としないだろうけれど、なんだか、バーナード・ロー師が気の毒になる。

彼の死に対してフランシスコ教皇は通り一遍の言葉を送り、バチカンではボストンのスキャンダルのことを口にする者は誰もいなかった。


メディアは彼の死を、性的虐待スキャンダルと結びつけて伝えたが、彼がマイノリティの権利のために戦った人だったことに触れる記事はなかった。


フランスでも同様のスキャンダルがあり司教が監督責任を問われたし、バチカンの教皇の側近にも嫌疑がかけられている。

世間的な野心なしに大きな管理責任を課せられるのは、きっと、「試練」のひとつなのだろう。


長きにわたる判断の誤り、は誰の人生の上にも、起こる。


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by mariastella | 2018-01-02 00:05 | 宗教
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