2018年1月7日は、2015年のパリのシャルリー・エブド編集部の襲撃事件からちょうど丸3年経った日だ。1月3日のシャルリー・エブド紙を見て、愕然とした。
あの事件の後、各界からの寄付で、経営難だったシャルリー・エブド紙は大黒字となり、世界的に有名となった。セキュリティも万全となった。前と同じように、いや、さらに過激なカリカチュアを掲載しても、後ろ指をさされるどころか、「表現の自由」の英雄のような扱いを受けてきた。
けれども、彼らには「普通の生活」をする自由は失われていた。
四六時中武装警官に鉄壁ガードされる檻のような編集部で働き、どこに取材に行くにも、警察やガードマンに囲まれるようになったのだ。
完全武装警護。
これでは確かに、テロリストのつけ入る隙はなく、ジャーナリストもカリカチュア作家も心静かに、安心して平和裏に自由な表現行為を満喫できる…のか?
「抑止力」という言葉を思い出す。
核の均衡による平和。
大国による核の所有は正義。
国家警察という正当な暴力装置による防衛装備は正義。
「正当を守る」のが正義。
「守る」という名の暴力によって担保される自由。
以下は1/3の『シャルリー・エブド紙』からいくつか。
完全警護壁の向こうの「平和」
安全に自由を楽しむならば、正当な暴力の重荷に耐えなくてはいけない。
「テロリスト」を撃つため正義の弾なら先に「自由」が打ち抜かれても感謝しなくては。