『Le prénom』(子供の名前)ブリュエルは、歌手としても有名だけど役者としても本当にうまい。 ブリュエルの演じるのは、不動産の仕事で成功しているやり手の男ヴァンサンで、妹バブーのうちのディナーに招かれてくる。妊娠中の妻はかなり遅れてくる。 そこはパリの五区のアパルトマンで、妹の夫ピエールはエコールノルマルを出て今もデリダについて書くインテリの教授。妹の方は、郊外の中学の数学の先生で、まだ小さい子供が二人いる。子供たちはもう寝かされている。このことで夫婦の居場所の知的レベルの「格差」とコンプレックスや家事育児を押しつけられている妻の不満が分かってくる。 後で映画の予告編もネットでみたが、芝居の方が、リビングというかサロンだけが舞台なので、小道具に工夫がされているのでおもしろい。 天井まで届く大きな本棚がふたつあって、本がぎっしりあることでインテリの住まいだと分かる。でもその棚に仏像の頭部の置物がおいてある。このことで、パリのインテリ左翼無神論者の雰意気が演出されている。 積んである雑誌は『テレラマ』。テレビの番組情報誌だがインテリ向けカルチャー誌で、それを手に取ったヴァンサンが「テレビもないのにテレラマとはインテリ左翼でばかげている」と揶揄している。TVがないことと本がたくさんあることはもちろん関連している。(ヴァンサンは金銭的成功が基準で保守派であり、フィガロ・マガジン系なのだ。バカロレアの哲学は4/20点だったヴァンサンはエコールノルマルに行ったピエールとは正反対でもあるがどちらも相手にある種の嫉妬心がある。) 並んでいる本も、ゾラなどの古典からロマン・ガリーの小説などが見える。 その中に19世紀のバンジャマン・コンスタンの心理小説『アドルフ』も見える。 これにヒントを得て、ヴァンサンは、4ヶ月後に誕生予定の男の子の名前をアドルフに決めた、というジョークをとばす。その前にも、子供のことを聞かれて、今日が超音波検査の日で、いいニュースと悪いニュースがある、好いニュースは男の子だと分かったということで、悪いニュースは、でも死んでいたということだ、と言ってみなにショックを与える。こういう悪い冗談を言って皆の反応を楽しむタイプの男だということでその後の嘘の伏線になっている。 で、「アドルフ」はヒトラーを連想するからとんでもないと皆から言われて、ヒトラーのアドルフはfで終わるけれど自分の子はバンジャマン・コンスタンの小説からとったのでpheなのだと様々な詭弁で意見を変えようとはしない。 もう一人の客もいる。ヴァンサンやバブーの幼友達でラジオ・フランスのトロンボーン奏者であるクロードだ。インテリやビジネスマンであるが音楽家ではない上から目線の他の人々からは、この、トロンボーンという楽器のステイタスが微妙にうつっていることも後から分かる。ヴァイオリニストならきっと尊敬されたかもしれないのだ。 やがてヴァンサンの妻も合流し、この芝居は意外な展開を次々と見せて、結局、皆が衝撃の告白や本音を口にし出して傷つけあう。 私の注意を引いたのはその中に出てくる偏見のディティールだった。 たとえば、クロードはみなから同性愛者だと思われているのだが、その理由は38歳の独身で、音楽家で、マレー地区に住んでいて、キールを飲んで、菜食主義者だという要素を総合してのことだという。 ピエールとバブーの子供たちの名前がクラシックではなくてオリジナルなことも揶揄される。クラシックな名はキリスト教の使徒やカトリックの聖人の名であるわけだが、それに関することや、他の歴史の年代や一般教養なものについても、「教養」のさりげない探り合いがある。 これは、家庭の中の葛藤(バブーは幼いころに母が兄のヴァンサンばかりをかわいがってジェンダー差別をしていたと言うなど)を含むテーマそのものは普遍的なのだけれど、ディティールがフランス的過ぎて、翻訳すれば面白さが全然伝わらないだろうなと思った。 それにしても、フランスのよくできた芝居には、こういう、家庭内や友人間の集まりで、最初は社交的にやっていたのに、偽善の裏表にはりついている嫉妬や自虐が何かのきっかけで炸裂する、というテーマが少なくない。 それを金を払って観に来て大笑いしているフランス人観客(この手の芝居に来る人は、芝居の登場人物とかぶるカテゴリーだ)って、ひょっとして、こういう本音が自分たちのリアルな社交の場にも現れることへの恐怖をこれで解消しているのだろうか。 日本人もよく本音と建前というけれど、フランス人のそれはちょっと違って、自虐と罵倒がセットになって爆発する沸点が日常的にも割と低い。 私は日本で生まれ育ったので、当然ながらフランスの階層間の機微や偏見の度合いが最初は分からなかった。それに、フランスに住むようになったときは最初から、インテリ家庭だけれど伝統的なカトリックの地方出身でパリで日本仏教についての修士論文を書いている女子学生とその家族、パリ大学の講座、パリのエコール・ノルマル・ド・ミュージックのクラス、カトリック修道会の経営する女子学生寮、という環境で暮らした。日本で私のいた環境と大きく違ったわけではない。 インテリ左翼無神論、ノルマリアンの哲学者などとも親しくうちに招き合い、私がカトリックの聖人伝などを研究しているのに驚かれたことはある。「あなたのようなインテリがどうしてまた」などと言われるのだ。しかし本人はイエズス会の中高などを出て実はカトリックの教養がある。でも、彼らは、教会にも絶対に行かないし、フィガロやそれこそフィガロ・マガジンも読まない。このことはむしろ、私にはチャンスだった。 カトリックフォークロアを研究しているのは一部の民俗学者だけで、歴史や社会学をカトリックの視点で見ていくという視点は1968年以来、消え失せていたブルーオーシャンだったからだ。インテリ左派たちが絶対に読もうとはしないカトリック左派雑誌やブルジョワ系雑誌もせっせと読んだ。 その後、ブルジョワの資産家家族とも交流し、代々の貴族家系の家族とも交流したが、最も親密な仲間はやはりトリオの仲間だ。 18世紀の宮廷のバロック音楽をやっているというとどんな保守で懐古派だと思われるかもしれないが、商業主義に巻き込まれない限り、それはリベラルで自由で、普遍主義の最前線であり、トリオの仲間と出会ってからの30 年近くは、建前も本音も超えた自由を目指す生き方を実践している。 私たちのような生き方はもちろんマイノリティだ。 私に関しては、以前にも書いたけれど、インテリ、アーティスト、外国人、しかも女性、と何重にも、「カテゴリー外」なので自由にふるまってもなんとなく許してもらえる便利なポジションを満喫してきた。時々こういう芝居を見ると、こういうステレオタイプの人々と日常的につきあわなくてもいい環境に感謝できる。
by mariastella
| 2018-01-20 00:05
| 演劇
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