ビゼーのオペラ『カルメン』のフィレンツェでの新演出が話題になっている。
ラストシーンが、カルメンが殺される前に銃をとってホセ撃ち殺すことで終わる。
このビデオの1:15あたりからがそのラストシーンだ。
ハリウッドのスキャンダル以来のフェミニズム全体主義だと批判する人もいる。
ヒロインは、このカルメンの正当防衛は自由を求める彼女の生き方の当然の帰結だと言っている。
これについてあまりコメントするつもりはない。
ただ、この世界で一番多く上演されていると言われるオペラのストーリーと結末と音楽は一体化しているので、これまでの演出は十分正当化されると思う。
これを見て、自由に生きると殺されるんだなあ、おとなしくしていよう、なんて思う女性の観客はいないし、いざとなったら女を殺すという手もあるな、などと思う男もいないだろう。全員が芸術的なカタルシスを得られて、拍手喝采して幸せな気分で家路をたどる。悲劇的な結末に共感したからではない。
ストーリーと、それが音楽と共にもたらす効果は、リアルなレベルとは別のところにある。このラストでカルメンがホセを殺してしまうのでは、芸術の緩慢な自殺に似ている。プロスペル・メリメの原作小説がある、ということも看過できない。
フランスではこのほか、これまで封印されてきたセリーヌのユダヤ主義パンフレットをガリマールが出版するということについても喧々諤々の議論が起こっている。ヒトラーの『我が闘争』の問題にも似ていて、すでにネットでは読めるし、カナダでは出版もされている、ということで、野放しにするよりも、ちゃんと解説をつけて出版した方がいい、という人と、『夜の果てへの旅』の名作家の全貌を知ることと政治的検閲は別だという人とに分かれる。
これら全部をピューリタンの原理主義で、表現の自由や芸術を弾圧するものだとして批判する人もいる。
女性を殺すというのを検閲しなくてはならないなら、ドラクロワの『サルダナパールの死』も不都合だから隠さなくてはならないだろう、と揶揄する人もいる。
どういうテーマがどういう歴史的、芸術的な文脈で描かれたのかを無視して論ずることはできない。
暴力表現が暴力を誘発するとは限らないし、まったく逆の非暴力のキャンペーンに使うこともできるだろう。
イエスの磔刑図だの夥しい殉教者図なども、見方によれば子供の情操教育にとても悪そうだ。
最近知り合いがヴァーチャル美術館のサイトを始めた。まだまだ続くが、今見られるだけでも、神話や黙示録や文学作品やらいろいろ解説(英語とフランス語)されていてよく分かる。人間性を知る手段として絵画表現があってほんとうによかった、と思う。