Arteで、セッション・モーツァルトという番組を視聴。
ベルリンの小さなホールで、オーケストラも聴衆もソリストもみな同じ高さで、リラックスしてグラスを傾けながらモーツアァルトへの愛を語る。ソプラノとクラリネット奏者とピアニストが、それぞれのモーツァルト観を披露しながら、じゃあこれは?これは?と次々に弾いていくというのが楽しくて、まるで私のトリオが練習で集まっている時にラモーの話をしているような感じだ。
最後はフィガロの結婚のシュザンヌと伯爵夫人のデュオの伯爵夫人の部分をピアノとクラリネットが弾く。語りとしてのクラリネットというのは、とてもフランスバロックに近いし、モーツァルトが絶対にセンチメンタルでないところを愛でるのもバロック的だ。
で、途中(27:50)で、アイザイア・バーリンの言葉が引かれているのがおもしろかった。
バーリンはロシア出身のユダヤ人でオクスフォード教授となった哲学者だが、
「奏楽の天使たちが神の前で演奏する時はバッハを弾くが、自分たちだけで内輪で演奏する時はモーツアルトを弾く」
と言った、というのだ。
この言葉には実は続きがあって、
「奏楽の天使たちが神の前で演奏する時はバッハを弾くが、自分たちだけで内輪で演奏する時はモーツアルトを弾き、神はドアの外でそれを聴いている」
というのだ。
私たちトリオのイメージでは、神が天使たちを指揮するならラモーだなあ、と思う。
クリエーションって、ほら、こんなに自由で楽しいよ、って。
ともかく、この番組のこんな感じのコンサートってすごく贅沢で楽しそうだ。
自分たちの演奏を言語化できる人たちって素晴らしい。
彼らはモーツァルトと、ピアノ、クラリネット、ソプラノとの出会いを語るが、彼はヴィオラも弾いたはず。ヴィオラとヴァイオリンの協奏交響曲が好きな私としては、今度はヴィオラ奏者とヴァイオリニストが語り合いながらのヴァージョンも聴いてみたい。
(2/13まで視聴できるので貼り付けておきます。)