「わたしはあなたがたを遣わす。それは、狼の群れに羊を送り込むようなものだ。だから、蛇のように賢く、鳩のように素直になりなさい。
人々を警戒しなさい。あなたがたは地方法院に引き渡され、会堂で鞭打たれるからである。」
(マタイによる福音書10,16-17)
福音をイスラエルの民に伝えるために12使徒を送り出したイエスの言葉だ。
悪霊を追い出すという癒しの超能力まで授けて送り出すにしては全能感を鼓舞するどころか、やけに現実的だ。
福音書がイエスの死後何十年も経ってから書かれたもので、イエスの受難やのキリスト者の迫害を経験し来るべき迫害にも備えたいろいろ「後付け」の編集があるのかもしれないけれど、ちょっと複雑な気持ちになる。
迫害されるという予言は別としても、
「蛇のように賢く、鳩のように素直に」
というところがもう、妙な含蓄がありすぎる。
「蛇のように賢く」というのは、蛇に欺かれないような分別を持てというのから、鳩を守る番人としての蛇だとか、いろいろな解釈がある。
でも、実際の福音伝道者が、この言葉を引用して、「相手に布教だと分からせないように何気なくローマ法王の伝記を歴史書として同僚に貸した」と満足しているケースもあるから、まあ、頭を使え、という感じでもいいのかもしれない。
「鳩のように素直に」、というの「イエスへの信頼」というのが平均的な解釈のようだけれど、聖書の中の「鳩」っていうのも、特に聖霊のシンボルである白鳩というのがなんとなく特権的でカラスがかわいそう、などと私は思ってしまう。
カラスは鳥の中で一番頭がいいことで知られているから、ここはいっそ、「カラスのように賢く、鳩のように素直に」の方がいいかなあ、と思ったり。
でも、鳩についても、動物行動学のローレンツの有名な『ソロモンの指環』で、種内攻撃に抑制本能が働く猛獣などと違って「鳩は同族をいびり殺す」というエピソードがすぐに頭に浮かぶ私は、素直という言葉に違和感を持ってしまう。
先日、沖縄の辺野古がある名護市の市長選で基地容認派が勝利した、
というニュースを聞いた時に、複雑な気持ちを整理しようと思ったら、こんな言葉を連想してしまったのだ。
なぜだか、分からない。