日記その1
日々のニュースを追うのはやめようといつも思う。前にも書いたけれど、死期の迫ったウンベルト・エーコは毎日のニュースを見ないことを決めた、と言っていた。
今はフランスでも24時間ニュース・チャンネルがあるし、ネットニュースもあるし、つい日本のネットニュースも見てしまうし、たいていは、どうにもならないことばかりなのに心が乱れる。でも、なんとなくネットサーフィンまでして、澱のように溜まっていくものもあるので、先日から、簡単に日記をつけることにした。
1週間ほど遅れでアップしていく。
2/9
日本の雑誌をネットで読むようになってから、「恐怖は魅力、怒りは娯楽」みたいな報道が多すぎるのに辟易とする。辟易とするだけなら読まなきゃいいのだけれど、「愕然」ともするので、その正体を確かめたい。世に言うポピュリズムとか反知性主義と関係があるのだろうか。また、怒りだけではなく、他人の不幸に群がるような「同情」系娯楽記事も根強い。
「他人の不幸は蜜の味」とか「下を通るは宝船」とかいう言葉をなんとなく思い出して、そういえばこのことを昔健康ブログに書いたなあ、と思って自分のブログを検索してみると、こういうのが出てきた。
読み直すと、とても興味深い。
この時の「共感能力」を今も維持しているかどうかと問われると、表面的には「喉元過ぎると熱さを忘れる」状態だけれど、両肩拘縮の痛みの経験は、その後、老化とか病気に対する感覚を相対化してくれた、とは思う。
(この後、この自分のブログの「つらかった時期」の記事を読み返して、それこそ、「下を通るは宝船」で、昔の自分に鼓舞された。このブログでいろんな方と連帯できたのも懐かしい。)