テロと英雄と復活祭(これは、前回、前々回の英雄話の続きです。) 今週の雑誌は軒並み、ベルトラム中佐の「英雄」認定の記事で埋まった。 復活祭の聖週間の特集であるはずのカトリック雑誌も、この「英雄」が敬虔なカトリックだったということで盛り上がっている。 中佐の夫人マリエルさんはカトリック週刊誌『La Vie』の編集長に直接電話して、中佐の犠牲の精神は、キリスト者であることと切り離せない、と証言し、復活祭を待っているという。 ベルトラム中佐ばかりにスポットライトを当てるのもまずいからか、今日(3/29)は首相が他の三人の犠牲者の追悼式に参加し、それぞれの棺に家族が別れを告げる様子がニュースで映し出された。 私や私の家族がもしテロの犠牲になったら、何度も名前を連呼されて画像を映し出されてフランス中に共有されるのは嫌だなあ、と思う。共和国セレモニーを拒否する権利ってないのだろうか。 いや、テロの犠牲者は「テロとの戦争」の犠牲者として戦死者扱いになって国家による遺族補償があるという面もあるから、「公の死」になるのだろうか。 ベルトラム中佐を英雄と賛美することについて、マリエル夫人も、政治利用などされたくない、と述べたそうだ。 おもしろい映像がビデオで流れた。 昨年12月に、「国民的歌手」のジョニー・アリディが亡くなった時、大騒ぎでマドレーヌ寺院での葬儀がメディアで流され、マクロン大統領もコメントし、前大統領のサルコジやオランドらまでも出席するという仰々しさだったのだが、その時にインタビューに答えたマクロンの映像だ。 「人々は時々、英雄を必要としている。彼は国民の英雄だ」みたいなことを言っているのだ。 今回の「英雄賛美」と並べると笑える。 今回は、「国のため、市民の命を守るために命を捧げた」のが英雄だと言って愛国心を鼓舞しているのだけれど、その基準で行くとロック歌手のジョニー・アリディは「英雄」ではなく、まさにアイドル(偶像)だ。 真の英雄を偶像化するのが政治で、偶像を英雄に仕立て上げるのもまた政治だというところか。 この件に関するTVの「英雄」談義に、2015年アムステルダムからパリ行きの特急の中でテロリストに立ち向かったアメリカ人の一人が出演していた。最近クリント・イーストウッドが映画化(『15時17分、パリ行き』)したことでさらに有名になった事件だ。イーストウッドの映画に出演して事件を「再現」した人の一人で、「英雄」としてフランスから勲章をもらった米仏二重国籍を持つ人のテレビ出演だ。 ベルトラム中佐のように英雄として死んだ人はそのまま崇められるけれど、生きている英雄は微妙な立場ではないかという話も出た。 カトリックの尊者とか福者とか聖人の認定やその条件である「英雄的」生き方の認定は、死後にしか調査されない。 一方、死ぬどころか巡礼地などで起こる「奇跡の治癒」で「奇跡」を認定されて健康体に戻った人の場合は微妙だ。 奇跡の享受者が修道者や聖職者ならいいけれど、普通の人で、治った後に、もし犯罪にかかわったり、自堕落な生活を送ったりしたら、何のために神が奇跡を起こしたのか分からないので、「教育的」ではなく不適切だ。 だから、奇跡の治癒を得た人が、それによって「回心」するとか、立派で模範的な生き方をするとか、を見極めないといけない。 武器を持ったテロリストに危険を顧みずに立ち向かって結果的に多くの人々を救った、というのは確かに「英雄的行為」だけれど、その後の人生でそれを自覚して模範的に生きてくれるという保証はない。 で、特急内のテロリストと戦った「英雄」は、どういう気持ちだったのか、英雄的な行為をした自覚はあるかと聞かれて、 「アメリカでは子供の頃からテレビなどで常にヒーローものを見せられて鼓舞され、子供はヒーローに憧れて、勇気あるヒーローになりたいと思って育つので、迷いはなかった」 という感じの答えをしていた。 なるほどと思った。 フランス人は、勇気がある、勇ましい人に対して、むしろ「英雄気取り」だとシニックに見る傾向があるから、メンタリティの違いは大きい。 同席していた哲学者が、ヒーローには二種類あって、いわゆる「物語の主人公、主役」という意味のヒーローと、「他者を救うために命を賭して戦う」ヒーローとは別のものだから、とひとこと付け加えていた。 それを言うなら、「他者を救うために命を賭して戦って、勝利する」というのが、アメリカン・ヒーローに近いかもしれない。 ベルトラム中佐は他の人質の命を救うことには成功したけれど、テロリストに殺されてしまった。 だからこそ「犠牲」であり「殉死」であるので、前の記事で書いたように「聖なるもの」の次元と関わる「宗教的概念」と重なる。 アメリカン・ヒーローではない。 アウシュヴィッツのコルベ神父は、一人の囚人の身代わりになって死を受け入れたが、加害者のナチスを「やっつけた」わけではない。 もちろん、アウシュヴィッツで展開していた「悪」は、そこで命令を下す特定の人の「悪」よりもはるかに大きい悪に根差している。 同時にそれは、ハンナ・アーレントが言ったようにある意味では、だれの心の中にもひそんでいる陳腐な悪でもある。 その悪に「勝つ」には、特定の「悪人」を力で制するということではなくて、大いなる善、無償の愛が存在し得るという「証し」が必要なのだろう。 これを書いているのは復活祭に先立つ「聖木曜日」の深夜だ。 自分が捕らわれて殺されることを予知したイエスが、「最後の晩餐」の後、弟子たちが寝込んでしまったのに、たった一人で、オリーブ山の麓、ゲツセマネの園で血の汗をしたたらせながら祈る時刻に相当する。 イエスは、「全ての人の罪」を贖って、無償の愛の証しをするために死ななければならない使命を受け入れることになった。 それから二千年も経ったのに、ベルトラム中佐が、キリスト者として人質の身代わりになり、武器を捨ててテロリストに相対した。 マリエル夫人が、夫と共に復活祭を祝えるのだと信じて期待していると言うのも、イエスの死と復活が全ての人を救ったという証しなんだろう。 復活祭に向けての全ての典礼のプロセスは、夫人にとって、どんな心理セラピーよりも確かな、癒しと命の源になることだろう。
by mariastella
| 2018-03-31 00:05
| 宗教
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