L'art de croire             竹下節子ブログ

芸教分離

 政教分離の萌芽は、ローマ法が完備していたローマ帝国世界で発展したキリスト教自体の中に潜んでいた。

 しかし、現実は、たとえばローマ教会が領地を得て封建領主化したように、宗教と政治はなかなか切り離せなかった。

 今のヨーロッパ、特にフランスは政教分離が進んでいる。私は日本からフランスに来たからぴんとこないが、社会が宗教離れしている点では日本とフランスは今の世界でも特異な国だろう。
 でもそこに至った経緯は全然違うので、要注意なんだが、それはまた別の話。

 で、政教分離がよくできているのは、教育と宗教が分離してる教教分離の様子でよく分かる。アメリカの公立学校から十字架や祈りがなくなったのなんて1960年代だ。

 私がこの頃思うのは、自分の中の芸術と宗教の分離である。これは見落とされがちだけど、けっこう本質的ななにかを秘めているかも。

 カトリックからラテン語ミサが姿を消していたのが、最近、併用OKになった。それで、ノスタルジーも含めて、古式豊かなのが荘厳でいいというような話をあちこちで耳にするようになった。

 私は、キリスト教の教会美術や教会音楽や建築を過小評価するわけではない。
 カトリックに改宗したユイスマンスがパリのあちこちの教会のミサや典礼を比較して、審美眼を駆使した『En route』なんて何度読んだか分からないし、バロックのモテットも好きだし、レクイエムも好きだし、バッハの教会音楽も好きだし、フランスでもわざわざソレムスにグレゴリアン聖歌を聴きに行ったこともある。

 ただ、それと、いわゆる信仰を結びつけたことはない。

 人が、超越的なものをいかに表現しようとするかとか、霊的なものを求めるとか、それがどうやって美に向かうのかとかいうことにはとても興味がある。

 芸術における精神性や聖性に感動することもある。

 でもそれは、たとえば、比叡山の声明を聴いても、ペルシャの宗教音楽を聴いても、グレゴリアン聖歌を聴いても、変わらない。

 声明に感動したからといって天台宗に帰依したくなるとか、スーフィーの踊りを見てシーア派になるとかならないように、別にすばらしいミサ曲やレクイエムを聴いても、だからキリスト教がすてきだとは思わない。

 実際、いろいろな宗教や宗派の中で、明らかにキッチュでありがたくないような建築物や絵や音楽にも出合う。玉石混交だ。というか、どのようなコンテキストにおいても、ほんとうに深く美しいものは少ない。

 もちろん、宗教の中で、特に宣教とか布教において、芸術の力が効を奏することはあるだろう。美しい女神や聖母像や仏像を見て心を動かされて回心することがあるだろう。貧しいブラックアフリカの真ん中に突如としてこの世の天国のような金色に輝く大聖堂が建てられ、そこではじめて、「この世」とは別の精神性に出会い、洗礼を受けるばかりか修道士や修道女になり、その美の豊かさに支えられて清貧の奉仕活動をしたあげくテロに巻き込まれて殉教した人々も知っている。美によって愛に触れる人だっている。

 でも、宗教が政治や教育とくっつくと、いろいろな取り込まれ方をするように、芸術が宗教に取り込まれると、その美の優越性のゆえに、美を所有している側が優越を主張したり、偏狭になったりする。
 美の祭神なんて言葉があるように、美そのものも宗教化しやすい。美の神とはたいてい不寛容だ。美と原理主義ってその点で親和性があったりする。

 でも、宗教は芸術を担保にしてはいけないし、
 芸術は宗教を担保にしてはいけない。

 芸術が、広義な聖なるものとか超越の感情なしに成り立つものかどうかは難しいところだ。でも、芸術や美は、残念だけど、モラルなしでも成り立つと思う。

 そこのとこも含めて、芸教分離の意味をよく考えてみたい。

 人は火が好きだ。火は超越だの美だの命だの聖なるものを喚起する。

 ルルドの夜のろうそく行列を見るとキリスト教でない日本の学生たちも感動する。でも、外国人が日本の寺の火祭りや薪能を見ても感激するし、人はテーマパークの光のパレードでも、隅田川の花火でも、感動するのだ。
 
 部屋の電気を消し、光ファイバーのクリスマスツリーが繊細に光の漣を繰り出す時、どんな子供でも、目を輝かせて見入る。

 うちの猫たちは、全く興味をしめさない。

 こういう時だけ、やつらが死を恐れない理由が分かるような気がするよ。

 昔は、美や祝祭は、宗教が独占していた。

 今は劇場があり、音楽会があり、美術館もあり、テーマパークがあり、室内プラネタリウムだってある。


 そんな時代に、芸教分離とはどんな可能性を持つのか。
 政教分離、教教分離、の後の、最後の何かになり得るんだろうか。
 
[PR]
by mariastella | 2008-08-25 05:05 | 宗教
<< べートーベンとラモー ジュール・ラフォルグ >>



竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
以前の記事
カテゴリ
検索
最新の記事
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧