L'art de croire             竹下節子ブログ

B16 がフランスに来ることでいろいろ。

 ベネディクト16世がフランスに来るんで、それなりに盛り上がってる。ライシテ・ポジティヴとかいってサルコジが馬鹿なことをしたり言ったりしませんようにと、フランスのカトは冷や冷やしている。フランスのカト側は、もう、ライシテとカトリックの対立は過去のことで、教皇が来たからといって、カトは、特にプロパガンダを展開しようというわけではない。サルコジの変に宗教っぽい挑発的言動によって政治的な厄介ごとが起きないように願っている。
 サルコの宗教趣味は、ハンガリー貴族というその出自のせいではなくて、WASP的アメリカの政治的セレブが宗教帰属を表に出して宗教ロビーを大事にしてることの猿真似であろう。

 私個人は、B16個人が相変わらず、どちらかというと好きだ。いつも見た目が可愛いと思うんで、彼が悪人顔とかいう人の気持ちが全然分からない。
 若い時の写真なんてほんとうにハンサムで可愛くて上品だ。ちょっとワイルドなお兄さんと対照的。

 確かに、教理省の長官だったり、ドイツ人だったり、悪名高いDominus Iesus を発表したり、こわもての保守主義者ってイメージはあるが、何しろここ3世紀の最高齢で教皇位に就いただけあって、もうすっかりJP2晩年と重なるような枯れぶり。

 『ナザレのイエス』って著書を出したが、序文で、教皇でなく一神学者として書いたと断る腰の低さで、教皇庁プレスのイエズス会士は、わざわざこういう区別をしたことに不満だったらしい。

 後、私がB16を好きな二つの理由。

 彼はヴァチカンの自分の部屋にピアノを入れた。ヴァカンス先でもピアノを弾いて、それを写真に撮らせたりTVに映されても嫌がらない。大体、モーツアルトがレパートリー。で、
 ピアノを弾くとき、たとえ写真に撮られても平気で右手の薬指の聖ペトロの指輪を外す。教皇のシンボルの一つの金の重そうなやつである。だから、ピアノを弾くときには外して、重ねた楽譜の上とかにちょこんと置いておく。

 どうでもいいことかもしれないけれど、楽器を弾くときにできるだけ軽くしようとしてブレスや腕時計や指輪を外す私には親愛感を感じさせる。これって、なんていうか、人間として信頼感と好感をそそる。

 もう一つは、うふっ、彼が猫好きなところ。

 Pentlingの地所にいるお気に入りの猫は私好みのクリーム・ベージュのヨーロピアンのChicoちゃん。なんと、ドイツでは、『ヨーゼフ(B16の名)とChico』っていう子供向きの本まで出ていて、Chicoちゃんの視点でB16の生涯が語られてるそうだ。教皇秘書官の序文つきで。

 まあね、キリスト教の未来を考えるなら、私はベルギーのガブリエル・ラングレ神父と同意見で、はっきり言って、今のローマ教会とかは、もう、肥大と硬化と、地政学的コンテキストのせいで、キリスト教の本質を貫くのは無理、まあ、歴史によって学習した智恵と技術を駆使して、今できる限りの最大の寄与を地球の平和と安全のためにがんばってしてください、と思うだけだ。

 聖アウグスチヌスを通したプラトン主義者であると自他共にいうB16だって、だから、本来は、キリスト教のイデアに忠実でいようと努力しているのだ。宗教と理性が切り離せないという、グレコ=ロマンの伝統にある人で、その思考の方程式は、

 「信仰 + 理性 = 解放する真実」

 というのに尽きる。

 ナチズムの全体主義の中では、聖職を選ぶことが内的自由の確保だった。それはJP2も同様だ。

 その後、そのリベラルな精神を維持していたが、1960年代以降のポストモダン的相対主義に失望した。

 逆説的ではあるが、ポストモダン的な相対主義や脱構築は、ユニヴァーサル理念を瓦解させる結果、ばらばらの個人を「エゴと欲望に忠実であれ」という知的モラル的な画一主義へと向かわせがちなのである。そういう画一主義を利用して個人を消費者として再編成するマーケットの力がそれを助長する。

 だから、B16が、ヴァチカンⅡの重要性よりも、キリスト教を「イエス・キリストとの出会い」に位置づけなおそうとした気持ちも分かる。

 残念なのは、ちょっとKYで、メディアの使い方に疎いし、自分でヴァチカン政治に乗り出さず全てを担当枢機卿に委任したりするので、去年、ワルシャワ新大司教の就任の日に共産党秘密警察との関係が暴露されるとか、この春、宗教間対話担当のトラン枢機卿が知らされぬままに元ムスリムを洗礼してしまうとか、齟齬が生じる。
 エコロジーがらみなどでなかなかいいことも言ってるのに注目されず、保守的な言動ばかり叩かれる。

 プラトン=アウグスチヌス系の世界観が、アリストテレス=トマス系と違ってペシミスティックなのも暗い感じだ。

 しかし、彼は、JP2の対極で、演技とか、演出とかを絶対にしない人で、根回しやらロビーイングにも疎い人、信者に個人崇敬されることを嫌い、カリスマ的でないので、相手を魅惑したり呪縛しないで、自由にさせる人だそうだ。目立たず、無理をせず。

 今回、現役教皇としてルルドに巡礼する二人目で、ポーランドの田舎っぽいイメージのJP2ならいざしらず、知的で理性主義のドイツ人B16までがルルドに来るんだぜ、って感じでフランス人カトはけっこうはしゃいでる。

 でも、マリアの「母なる御加護をみなさんに・・・」なんてメッセージを口にしてるのをTVで見ると、白髪の教皇と聖母崇敬は似合ってるよな、と思う。
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by mariastella | 2008-09-12 01:26 | 宗教
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竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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