L'art de croire             竹下節子ブログ

二元論の避け方

 神学の歴史を眺めていつも思うのは、二元論の克服というのがいつも隠れた主題になっていることだ。 
 それは、超越か非超越かの問題でもある。

 啓示の宗教である一神教では、神の言葉である「聖典」を神に属するもの=超越に属するものと見るかどうかによって解釈、または解釈の自由度が変わってくる。

 ユダヤ教はかなり古くから、ギリシャ哲学を応用した。

 1世紀におけるフィロンによるピタゴラス-プラトン-ネオプラトニズムの適用。
 そして12世紀におけるマイモニデスによるアリストテレスの応用。

 ナポリ時代の聖トマスの師であるアイルランドのペトロは、ユダヤ人たちと一緒にマイモニデスのユダヤ聖典(キリスト教にとっては旧約聖書)を学んだ。その頃までは、少なくとも、ユダヤ=キリスト教間では、旧約の預言者解釈についてのつっこんだ宗教間対話があったわけだ。

 1240年に聖ルイ王がパリでタルムードを焚書し、聖トマスが著作を始めたのはその後だったからマイモニデス(ラビ・モーセ)への言及は限られているが、その影響は大きい。だから、Guggenheimも、「信仰と理性」の統合はユダヤ教とキリスト教、と言っている訳だ。

 詳述はしないが、ポイントになるのは、言語テキストとしての聖典と、それが内包する意味、意義の関係である。この二つは、別物なのかどうか。

 意味は、神から与えられた。だから超越。

 文は預言者の言葉の記録である。だから人間のもの。

 で、意味は文に隠されている。文を削いで、文の奥に到達して真実に迫らなければいけない。

 キリスト教神学者たちは、はじめ、「文=人間の部分」を軽視していた。

 マイモニデスは、言語テキストのうちに「理性」が適用できると考えた。
 文字の裏に真理が隠されてるのでなく、真理は文字によって表出してくるからだ。

 それは肉体と魂の二元論の克服と似ている。

 プラトン風には、肉体は魂の牢獄だ。

 しかし、アリストテレスは hylemorphisme を説いた。

 存在というのはマチエールに支えられている、という認識だ。

 今の科学が、思考だって脳の電気反応だと言うのに似ている。
 エネルギ=物質 だというのにも合致する。

 とにかく、この考えによって、聖トマスにおいては、肉体と魂は、聖アウグスティヌスなんかよりもずっと、統合されている。肉体はそのまま「救済の場所」でもある。(これって、真言における即身仏の概念にもつながるなあ)

 そして、肉体と魂が両輪をなすというか、肉体が魂を支え、表現するという考えが、そのまま、テキストとその意味との関係に応用された。

 つまり、ユダヤ教やキリスト教のような契約の聖典においては、そのテキストは、神と人間の共同作業なのである。それが「契約」思想でもある。真実は一つでも、人的部分であるテキストの解釈は多様性があり得る。

 キリスト教は、さらに、神をペルソナ化して、父と子と聖霊とすることで、「超越と内在」を同時に成立させる可能性を秘めている。

 ユダヤの神はペルソナ化していないから、聖典を読み解く神学としては、その点を深化できなかったかもしれないが、その伝統は、スピノザや、フッサールやエディット・シュタインに受け継がれた。

 これに比べると、聖典としてのコーランは性質が違った。

 コーランを「被造物」としたのは、主知主義のムアタジラ派である。アラーの啓示があったとしても、預言者としてのムハンマドは人間だから、それが彼の文化の言語であるアラビア語化した時に、テキストは理性で分析可能な「被造物=非超越」として現れる、とすれば、ギリシャ的アプローチも可能だった。
 しかし、ムアタジラ派は発展しなくて、コーラン=「非-被造物」というのが正統派になったので、コーランの扱いはぐっと難しくなった。預言者ムハンマドですら神格化、と言うと語弊があるが、神聖不可侵となってしまった。

 アヴェロエス的な主知主義は、むしろ、「魂側」に行って、イスラム神秘主義に継承されたのだろう。

 ある意味で、コーランを「非-被造物」と見なすことは、イエスの神格化に似ている。コーランは人間の形でないから「受肉」ではないが、「神がロゴスとなって現れた」という考えのヴァリエーションだとも言える。

 で、何を言いたかったのかと言うと、今の世界では、聖書原理主義とか、一神教国が聖典を字義通り解することが非寛容や戦争やテロを生んでいる、などと外部から安易に評されているが、宗教間対話や、超越智と人間知の関係や、テキストと意味の関係などは、もう大昔からあれこれ議論されているということだ。

 たとえば、現代アメリカ生まれの福音派キリスト教が、天地創造説にこだわって、ダーウィン進化論を批判し、理科の教科書にも天地創造説を載せろと言っているような話。

 そこだけ聞けば、今時のフツーの人は、

 「ええっ、そんなこと、本気で信じているのか? おかしいんじゃないの?
 キリスト教って、変だよー」

 と思うだろうが、そして私もちょっとそう思ってたけど、こうやって、聖典の解釈史を見てきたら、福音派の人が今の時代にそういうことを本気で思うのには、別に彼らが「中世のままの頭」(実は中世はしっかりと複雑だったわけだが)だからでなく、実はそれなりの理由があるのだろう。

 もちろんアメリカのピューリタン的な歴史とか、60年代の反動とか、宗教ロビーの力学とかもあるだろうが、たとえば、来年はダーウィンの『種の起源』の150年記念で、トンでも説もちらほら出てきたので、ことの複雑さが分かる。

 『種の起源』が出た時代が微妙だったこともあって、彼の「進化論」や「適者生存」の自然淘汰などは、二つの大きな「悪」に利用された。鬼子を生んだといってもいい。

 1、弱肉強食の正当化。今のネオリベにまでつながるもので、人を勝手に競争させていれば、生存に適した強いものが残るのだから、政府などが人的に介入してはならない。

 2、優生主義。 劣等なものを淘汰して、優秀なものを残すように、積極的に介入すべきである。これはナチスのホロコーストにまで行きつく。「優生保護」のための中絶や断種もこの流れ。

 キリスト教的考え方は本来これと対極で、最も弱く小さいものに神が宿る。
 これこそ受肉して処刑され犠牲となったキリスト教の神が体現する「超越と内在の弁証法」の帰結でもある。

 そう考えると、福音派によるダーウィニズムの攻撃も、ただ彼らが「聖書を字義通りに解釈して科学的思考を排除する」偏狭な人たちだからだ、と言えるものでもなく、ダーウィニズムから派生した1や2の傾向がこの世界を住みにくくしていることへの抗議というか、生き方の不全感の表明かもしれない。

 思えば、ダーウィニズムだけでなく、キリスト教だって歴史の中で何度も権力者の都合のいいように歪められてきた。

 超越と内在を両立させることで2元論を克服する、のがいつの時代でも、良好感を持って人生を生きるための最も有効な方法かもしれない。

 しかしこういうことを大きな声で言うと、前回書いたように結構地雷原なんで、宗教や神学には触れない方が無難だ。必ず「お前はxx神学を知らない」云々と批判する人が出てくる。

 で、超越と内在の弁証法を、音楽論に応用することにした。音楽のテキスト、音楽のエクリチュール、そして演奏と鑑賞と、その意味や意義の関係について。

 一神教神学の方法論を音楽論に応用する。

 面白くなりそうだ。

 
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by mariastella | 2008-10-02 21:24 | 宗教
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