L'art de croire             竹下節子ブログ

2016年 12月 09日 ( 1 )

ポランスキー『おとなのけんか(Carnage)』2011

私は時々、フランス人と日本人のメンタリティの方が、アメリカに比べると近いような気がすると書いてきた。時代が変わっても古くからの権威や文化が古層のように残っているのも宗教への関わり方も含めてそう思うことが多い。

でも、このロマン・ポランスキーの映画を見ると、この部分(つまり都会のプチブルジョワの本音と建て前)に関しては、アメリカとフランスがほぼ同じ感じで、日本はまったく違うとつくづく思った。

それを雄弁に語っているのがこの邦題のつけ方だ。

『おとなのけんか』......

あんまりだ。

もとはフランスのヤスミナ・レザの『Le Dieu du carnage(虐殺の神)』という戯曲が原作で、舞台をブルックリンに移してアメリカでもヒットしたらしい。(その戯曲の邦題も『おとなはかく戦えり』だそうだ)
時間、場所、筋の「三一致の法則」に乗っ取ったフランス戯曲らしい構成だ。

映画は、アメリカが舞台だが、ある夫婦の自宅ですべてが展開するので、パリで撮影されたという(ポランスキーはアメリカに入国すると逮捕されるリスクがある)。

11歳の少年がブルックリンの公園で同級生を棒で殴り、前歯の2本を折る怪我を負わせた。「被害者」の親であるロングストリート夫妻は、事の次第を書面にして確認するために「加害者」の親であるカウワン夫妻を自宅に招いた。カウワン夫妻は協力的で下手に出て、お互いに、同じレベルの生活、階層であることに納得しながら上品にことをすませるはずだった。

ロングストリート夫妻の妻はスーダンのダルフールについての著書がある作家ペネロピ(ジョディ・フォスターが相変わらずすばらしい)、夫が金物商を営むマイケル。

カウワン夫妻は、妻が投資コンサルタントのナンシー(ケイト・ウィンスレット)、夫が製薬会社の副作用スキャンダルをもみ消そうとしている弁護士アラン。

最初は「子供の喧嘩」の解決だったものが、弁護士がしょっちゅう携帯電話で話していて、それにみんながストレスを感じ、気分が悪くなったナンシーが吐いて美術書を汚してしまう。
それをきっかけに社交的な仮面が剥がれて険悪になり、言い争いの組み合わせも、夫妻対夫妻、夫同士対妻同士、夫と妻の取り替った状態など、感情のまま、特に日頃のうっ憤などでエスカレートする。

子供のけんかが「大人のけんか」に変わる、という話であるのは事実だけれど、単なるヴォードヴィルではなく社会派ヴォードヴィルなのだ。

弁護士役のクリストフ・ヴァルツ は『ターザンreborn』で、帝国主義時代の差別主義の権化のようなベルギー人役をやった人だ。 この映画でも自分はコンゴに行ったことがあるというのもおもしろい。どこか最近亡くなったロバート・ヴォーンに似た雰囲気があってなつかしい。

両夫婦とも、NY のブルジョワだけど、ロングストリートの方がリベラルで民主党に投票するタイプ、カウワンは共和党に投票するタイプだ。

で、原作がフランスものだから当然とはいえ、この2組の夫婦や、招待されて出向くこういうシチュエーション、アパルトマン、会話の仕方など、フランスでもすごくありそうなことで、とてもリアルだ。こういう感じの夫婦をいくらでも知っている。
でも日本で子供がけんかした時に、夫婦で相手の夫婦とこういう感じでもてなしを受けながら話し合いに出かけるなどというシチュエーションは想像できない。
ブルジョワ家庭でも、子供のこの種の問題で当事者の2組夫婦が行動を共にすることはないだろう。
だからこういう感じの「おとなのけんか」にはなり得ない。

ジョディ・フォスターの演じる妻は、美術が好きで、スーダンの子供たちなど世界の悲惨に関心があって著書もあることをひそかに誇り、社会意識の高い人で、世界のどこで起こっていることでも自分たちに関係がある、と主張する。ジェーン・フォンダの例が出て来る。フランスならジェーン・バーキンか?

元のタイトルの「虐殺の神」というのは弁護士が口にするセリフで、「僕は虐殺の神を信じている」と言ったり、ジョン・ウェインの名をあげたりするのだけれど、要するに、強い方によって弱いものは淘汰されるということだ。動物の世界では最も強い雄だけが雌を獲得して強い子孫を残す。
けれども、人間は、分かち合ったり、助けたり、弱者を排除しないで生きていくように進化してきた。サバイバルのために争わなくていい人々は特に、弱者を助けることに情熱を燃やすことすらある。

言い換えると、、「子供のけんか」は、「動物レベル」だが、「大人」はそのレベルを超えて上品に平和に協調してやっていけますよ、という「文明人」レベルですよ、という合意がある。「けんかしない」はずだ。

ところが、それが過剰になって、弱者を救う姿勢における偽善や、それをしない他者の弾劾や、ポリティカリイ・コレクトの際限ない検閲や自主規制へとエスカレートしていく。

けれども、オーバーワークで疲れ、家族とのつきあいに疲れ、外面をつくろうことに疲れた人たちは、特に酒で自制心のタガが緩むと、本音が噴出する。

ダルフールについての本を書いた人に対して「セネガルのニガーが」と黒人差別の言葉を使ったり、タブーの差別語が連発される。クー・クラックス・クランの名も出る。

つまり、社会的、階層的な仮面が落ちると、「動物的あるいは動物的本能でけんかする子供たち」のような本音が垂れ流される。

とはいえ、自分だけの利益しか考えない状態から、共同体の利益を考え、近くの弱者を助け、さらに、遠くにいて姿の見えない弱者にすら思いをいたすようになるのも、また、人間が獲得してきた人間らしさのひとつであって、けっして虚偽ではない。

エゴイズムと博愛の気持ち、責任感と無関心、礼儀と乱暴、それらは共存していて、それらを分かつものは薄氷でしかない、ということだ。

この映画を見ていると、この登場人物たちは今年ならみなトランプに投票したかもしれない、と思えてくる。

トランプが勝利したのは、貧しい白人たちの不満の受け皿になったからだと言われているが、決してそれだけではない。NYのブルジョワだって、ストレスフルで孤独で、外面をとりつくろうことに疲れていたら、こうなるのだ。5 年前の映画だが、もうそこには、「トランプを選んだアメリカ」がある。
さらに、この映画を見れば、そのアメリカの心性が、人間性に根差した普遍的な問題だということが、分かってくる。

同時にきわめて21世紀的な問題でもある。

「虐殺の神」というのは、要するに弱肉強食のネオリベラリズムの神でもあるからだ。

20世紀の後半に、「自由世界」が第二次大戦後の「復興」を遂げた間、この「虐殺の神」には枷がかけられていた。「自由世界」の内部で、「共産主義」シンパという身中の虫が増殖しないように、「社会民主主義」を飼っていたからだ。

もとより「自由競争」は公平なシステムではない。
スタート地点からいろいろなハンディを負っている人がいて、そもそも全く競争に参加不可能な弱者もたくさんいる。それらの人々や競争の敗者も含めて、すべての人が尊厳をもって共存できるような社会を運営するために財を分配するという思想が生まれた。生産力が低い時代には個々の共同体でそれなりに機能していた互助システムが破綻したからだ。人間のモノ化に対抗して共産主義が生まれた。

けれども実際に現れたのは、必然的に全体主義化する「一党独裁型の社会主義」だ。
それに対して生まれたのが、「民主主義によって運営する社会主義」というスタイルの社会民主主義だ。

ところが冷戦が終わって、敵が自滅したので、「自由世界」の「虐殺の神」にかけられていた枷が外れた。

「虐殺の神」がグローバルする中で、統治者にとって不急不要になった社会民主主義は、冷戦時代の「意識高い系」の世代を中心に、アフリカの貧困や環境保全、差別撤廃、動物愛護などの方向にシフトしながら、ライフスタイルへとイデオロギー化していく場合がある。

それを担う人の多くが、競争社会におけるいわゆる「勝ち組」である。その中には、この映画が描いているような、

夫が「虐殺の神」を信奉して競争にはげみ勝ち組の場所を確保して、
妻がボランティアをして家庭における夫の不在を埋めて自分の生き方に意味を見出す、

という組み合わせが生まれてくる。

(「夫が稼いだ金で妻が消費に励んで経済を回す」方が多いかもしれないけれど。)

そのような矛盾や欺瞞などが膨らむと、見かけの「幸福」のあやういバランスなど、「逆殺の神」の聖霊がささやくたった「一言の本音」によって崩れてしまうということなのだろう。

『おとなのけんか』は、一見幸せそうな他人のカップルの化けの皮が剥がれる過程を見ておもしろがるような映画ではなく、「ポランスキーの映画を見に行ける」ような人たちに、自分の立ち位置と生き方について本格的な自問を促す映画なのだ。
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by mariastella | 2016-12-09 00:09 | 映画



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