L'art de croire             竹下節子ブログ

2017年 03月 08日 ( 3 )

「噂があるという噂」印象操作と「見た目」

先日の記事で、TV出のフィヨンのインタビューで先週の水曜に妻の自殺のデマさえあった、というのを受けて「自殺」という言葉を書いた。そのことを、フェミニストの友達に昨日話したら、彼女もこの言葉にショックを受けていた。

そしたら、今朝になって、「そんなデマなどなかった、むしろフィヨン派が流したフェイク」という「エクスプレス」誌の検証記事が送られてきた。

これを読むと、そうか、「噂がある、という噂」を流すのも「印象操作」のひとつなんだなあと思った。

私も友人も「自殺」という言葉に弱い。相手がいかに正しくなくても、追い詰められて死んでしまったなどという状況になれば猛烈に自分を責めるタイプだ。

政治家なんてみんな「役者」だなあ、と改めて思う。うまい「役者」でなければ政治家になれないのかもしれない。

「役者」だから「見た目」も大切。

トランプ大統領がもし170cmくらいのアメリカ人として「小男」だったら、プーチンやサルコジくらいだったら、あの暴言が同じように通用しただろうか。

今のフィヨンは伝統的な「フランス大統領」の「絵」としては、一番似合っている。
ル・ペンは「女」、マクロンは「若造」、と潜在的な弱点を持っている。
それを逆手にとって「新鮮」とできるかどうかはまた別問題だ。
緑の党のジャドはトランプと同じくらい高身長だし好漢だが、彼が組んだアモンは何だか貧弱だし「大統領顔」ではない。
今にして思うと、あれほど低身長を下品に揶揄されたサルコジが、あれほどのカリスマを振りまいたのは不思議なくらいだ。

プーチンもすごいなあと思う。ナポレオン・コンプレックスというのがあって、「同じ種では体が小さい方が攻撃的である」という説も一時流布していた。

今のようなネットの時代、「見た目」がますます拡散されるから、国際舞台に立つ政治家は大変だし、政治をチェックする方も「見た目」に惑わされない識別力が必要だけれど簡単なことではない。
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by mariastella | 2017-03-08 19:59 | フランス

フィヨンの奥さんと日本の首相夫人

フィヨンは「晴れて?」新たに共和党からお墨付きをもらってリスタートの様子。

私の周りではジュッペが不出馬スピーチで見せた知性が評価されている。

でも、周りのインテリ左派無神論フェミニストが、フィヨン夫人のことを攻撃しているのを見て論理的ではないと思った。

フェミニストらは、

自ら「夫の仕事に関わったことありません」と言っていた「ウェールズ出身の田舎住まいの5人の子の母」であるフィヨン夫人は、園芸をして料理して編み物をしていたのだから公金を横領した、と切って捨てるのだ。

一方、私の周りのこれはリタイア世代の人たちで妻子のいる人たちは、

「自分たちの母親も父親をいつもフォローしていた。」
「自営業者や第一次産業に関わる人は妻も夫と全く同じに働いている。」
「自分の妻も、海外赴任の自分をあらゆる点でアシストしていた。給料をよこせと言われていたくらいだ」
「フィヨン夫人は弁護士の資格を持っている。微妙な問題について絶対に信頼が置けて能力もある妻にアシストしてもらったのは不思議ではない」

などと、口をそろえて弁護。

私は一応、彼らに、

「それは、私企業や私人ならいくら妻に払おうと問題ないけれど、公設秘書として公金を払った時点で問題なのよ」

と反論したのだが、

「専業主婦だと宣伝していたくせに普通の人には考えられないくらいの高給をもらっていたのがけしからん」

みたいな嫉妬めいた攻撃よりは好感が持てるなあと思って、

このことをフェミニストの友人に話したら、

そういう観点からは見ていなかった、

と認めた。

インテリ左派フェミニストたちはみな自分で自分の生活費をしっかり稼いでいるから、「私、働いたことありませーん」という存在自体を忌避しているのだ。

海の向こうの日本では、「アッキード」疑獄が取りざたされているようで、つい比べてしまう。

「私の妻を犯罪者扱いにするのか、失礼な!(怒)」

なんて「むきになる」と言われている日本の首相のことを、「愛妻家」だなどという日本の男っているのかなあ。「昔の話」でなくて現役の首相の現在進行形の話なのだから、重要度も責任度もまったく違うものだけれど、「妻を守る」というスタイルで一定の共感を一定の男に口にさせたフィヨンのケースを見ていて、いろいろ考えさせられた。

逆に、「妻を守るフィヨン」という形で共感を口にしたフランス女性は見たことがない。

フィヨン以外には共和党の候補は考えられないから、
フィヨンの政策に共感していることには変わりがないから、

という冷静なものばかり。

国民性、世代の差、男女の差、観察していると興味深いことばかり。
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by mariastella | 2017-03-08 06:06 | フランス

フランスとイスラム その10

カメル・ダウドの2012/9/16の記事紹介の続き。

イスラムの進歩主義者、世俗の進歩主義者は共に、過激派と戦わなければならないとは言っていた。けれどもそのやり方は、過激派を分離して彼らのイデオロギーを解除して実態を明らかにするならば過激派は人々からの信頼を失って自然消滅するだろうという楽観的なものだった。

結果として、過激派は、消滅どころか、前進し、勢力を拡大した。

その理由は明らかだ。

教育、学校という温床の存在だ。

「アラブ」世界には、進歩主義者が過激派を堰き止めているつもりの間に、揺り籠のレベルで、学校で、テレビで、コミュニケーションで、通りで、モスクで過激派を育てるという、イデオロギーの温床があるからだ。

過激派でない人々の目には、過激派は、今世紀の世界の状況が生んだ「産物」だと見えていた。

しかしそれは逆で、過激派が今世紀の悪の根源なのだ。

学校、書物、ファトワ、「アラブ」世界は過激派を今も基礎から作り上げている。
至る所で、しかるべき資本を投じて。

過激派のモデルとなったワッハーブ宗は、国教を超えて、イスラムの伝統宗派の差を超えて浸透する。

法律をファトワに近づけ、
投票で選ばれた政治家は天に選ばれたイマムへ、
憲法はシャリーア法へ、
学校科目はコーランの暗唱へと向かう。

この「温床」を絶やさなければ、数十年後には巨大なイスラム神学帝国が現れるだろう。

イデオロギー、教育、学校というレベルで過激派に立ち向かう努力なしには、我々は、50年後もまだ「過激派をどうするか?」と問い続けているに違いない。(続く)
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by mariastella | 2017-03-08 01:13 | 雑感



竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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