L'art de croire             竹下節子ブログ

2017年 03月 30日 ( 1 )

大山崎山荘と夏目漱石

京都盆地の西 桂川、宇治川 木津川が合流して淀川になるのが見える景勝地天王山の中腹にある大山崎山荘のテラスからの風景。桜はまだ蕾だった。
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庭園ははっとするほど個性的でとても大正時代のものとは思えない。邸宅も美術館も、昭和7年にできたモネの睡蓮などのある地下のギャラリー なんて、まるで直島の地中美術館みたいだ。
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でも、なにより驚いたのは、この山荘を造った加賀正太郎という証券業者と、明治の文豪 夏目漱石との関係だ。漱石は亡くなる1年前に京都に滞在した時、祇園の女将が連れてきた加賀と会う。

3/20 文芸芸妓として知られた女将と知り合い、その機知を気にいる。
3/22大山崎に別荘を建設中の加賀が、女将に頼んで、漱石にその別荘の命名を依頼に来る。
単に命名だけでなく実際にその地を見てほしいと執拗に頼む。
4/15 女将と共に大山崎へ。
4/17 東京に戻る。
4/18 手紙が溜まっていてその返信に追われ、加賀の依頼にまだとりかかれていないと書く。
4/29 山荘の命名案を14,5も送る。しかも弁解がましい。

考えないわけではないが、何も頭に浮かばない、と言いつつ、竹とか三川という言葉を入れた一つ一つの案について、その言われ、長所短所のコメントも丁寧に付けている。(これらの書簡が表装されて展示されていた)
で、「気に入らなければ遠慮はいりませんから落第になさい」と書いた。

それを真に受けたのか、まだ20代の若き富豪の加賀は、文豪の漱石の命名案をボツにして、「大山崎山荘」とだけ名付けたのだ。

これを知った漱石は「悪ければ悪いで、あれでは気に入らないからもっと別なのを考えてくれと言えばいいのに」と語っていたそうだ。

おそらく事前に漱石に十分な謝礼でも 前払いしていたのだろうけれど…驚きだ。
加賀はイギリス帰りでキューガーデンに感銘を受けて山荘の造営を思い立ったというから、おそらく同じイギリス帰りの漱石に何かイギリス風の命名を期待していたのだろう。「文豪に命名してもらった」という成金の名誉欲はでなく、イギリス風が欲しかったのだ。
その後の加賀の活動や感性を見ていると、彼は本物の「国際人」だったようで、「イギリス帰り」と言っても中味は明治の文人だった漱石の命名センス(杜甫の詩句や荘子などが出典)には失望したのだろう。

それにしても、漱石の書簡や日記を見ていると、あまりにも自然体で、まるで今の若者がfacebookで日記を書いているようなノリで驚く。鬱っぽい気分も率直に書くし、親近感をおぼえるほどだ。
私は3月末の寒さにうんざりしていたのだが、ある冬、最初に京都に着いた時の漱石は、「日本にこんなに寒いところがあったとは……」みたいなことを書いていて、東京から持ってきた自分の熱がどうなることやらなどと言っているので笑えた。それら全てがしっかりした墨蹟であるのもミスマッチで楽しい。

「今、午後十時です。」とか「現に今書く手紙は」とか、臨場感というか同時性があるのもまるでメールのやりとりみたいだ

ともかく、加賀が、結局「山荘名撰主人意に満たず」としながらも、さすがに別の人にイギリス風の名をつけてもらうことはなく、ただ「大山崎山荘」としたのは漱石へのリスペクトだったのかもしれない。

漱石は大山崎を訪れた翌年に沒し、その翌年山荘が完成した。ちょうど百年前のことだ。
1932年に漱石書簡が表装されて1935年の漱石忌に橋本関雪邸で展示され、その次が2017年の今年(漱石生誕150周年)だそうだ。

いいところに巡り合わせた、と思う。
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by mariastella | 2017-03-30 00:19 | 雑感



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