L'art de croire             竹下節子ブログ

2017年 05月 02日 ( 2 )

メーデーとル・ペン父娘とマクロン

これは前回の続きではありません。

5/1 のメーデー、ジャン=マリー・ル・ペンは13区のジャンヌ・ダルク像の前で娘への投票を呼び掛けてマリーヌのことを「フランスの娘 une fille de France」と呼んだ。
冠詞なしの「フランス」でこういう場合、普通は、王の娘、王女のことを指す言葉だ。

つまり王党派っぽい含意があるので、「私は大衆」と主張するマリーヌのイメージ作戦を裏切るどころか、暗にその父である自分は王であるという本音が出たのかもしれない。

2002年の反FNデモと違って、予想通り、「ファシスト(ルペン)も、反資本主義者(マクロン)も嫌だ」という組合の呼びかけもあった。

メランションが前日、マクロンに政策で譲歩するなら積極的支持に回ると持ち掛けたのにマクロンは昨日のミーティングできっぱり断った。
デュポン=エニャンの支持を得るためにいろいろ譲歩したルペンと対照的だ。

ルペンが譲歩したのはこれによって票だけではなくもー、FNのノーマル化を印象付けるためだ。

マクロンが譲歩しないのは、2012年の決選投票でバイルーやメランションの支持を得たのに当選後は社会党だけで固めたことでバイルーやメランションの離反を招いた前例を踏襲したくなかったからだ。

けれどもそのことを、

ルペンは、プラグマチックで大人、
マクロンは、視野の狭い子供、

という風に見る人や、その見方を誘導する人がいる。
マクロンはわがままでナルシストの子供だと。

いや、でも、同じ日に、マクロンと同様の立ち位置にあるイタリアの42歳のマテオ・レンツィが復帰を表明した。
レンツィは34歳でフィレンツェ市長となり、39歳で首相としていろいろな改革をした。
フランスでも、ナポレオンを引き合いに出さなくとも、ローラン・ファビウスは34歳で政権入り、37歳で首相になっている。その時には「子供」だと批判されることはなかった。ファビウスはマクロン以上の正統エリートだったが、それを攻撃されることはなかった。

今のフランスの病理、閉塞、ポピュリズム、SNSと映像の力、の中での選挙戦だからこそ、「理念」や「原則」を見失ってはいけない。
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by mariastella | 2017-05-02 18:40 | フランス

フランス大統領選とカトリック

これは前回の続きです。

大統領選についてのカトリック言論界で、「宗教」(つまり典礼や教義の体系)をもってキリスト教を語らないタイプの人々の発言を少し挙げる。

「フランスは、アンシャン・レジームという子供時代を脱して今は青年時代を生きている。イエスの聖心の恵みによって「大人」の時代が来ますように。今は成熟、信用、一致、という3つめの道を創る時だ」

「キリスト教が商品の絶対支配を拒絶すること、偶像崇拝の撤廃だと言うなら、ラスベガスに行くフィヨンよりもメランションの方がキリスト者だ」

次にフランスのベネディクト修道会の重鎮がネットで発信(4/2)したものの初めのところ。

「聖ベネディクトは事態の政治状況に直接は関わらなかった。パウロ6世によってヨーロッパの守護聖人とされたベネディクトは、西ローマ帝国の滅亡の時代に修道院を創設した。十世紀初めのヨーロッパ政治危機の時代にクリュニー修道会が生まれ、二世紀後に、祈りの家という白いマントがヨーロッパを覆った。(注: 白いマントというのは歴史学者ラウル・グラベールの有名な「教会の白いマント」という表現の転用だ)
私たちの家族、学校、アソシエーションの中にまず神の国を希求しよう。そうすれば後はおのずとついてくる。
この大統領選は出来レースだ。民主主義とはいいがたい。現体制は、その体制の産物である候補者を並べて選ばせる。
最悪を避けるために投票することはできる。けれどももっとするべきことがある。ダマスの道で聖パウロの回心があったように主が当選者に恵みを与えて回心させてくれるように祈ることだ。」

「(・・・)我々聖ベネディクトの息子たちの毎日の糧と盾になるようにこの祈りを信仰と共に唱えなさい。(・・・)「勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」と言った我らの主は、十字架の上でまで我々のために祈ってくれたではないか。
(注:「これらのことを話したのは、あなたがたがわたしによって平和を得るためである。あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている(ヨハネによる福音書 16, 33)。」)

彼が唱えるように言ったのは詩編の21, 72 ,101番である。
もちろん検索。
うーん、

たとえば72番の1~7、

神よ、あなたによる裁きを、王に/あなたによる恵みの御業を、王の子に/お授けください。
王が正しくあなたの民の訴えを取り上げ/あなたの貧しい人々を裁きますように。
山々が民に平和をもたらし/丘が恵みをもたらしますように。
王が民を、この貧しい人々を治め/乏しい人の子らを救い/虐げる者を砕きますように。
王が太陽と共に永らえ/月のある限り、代々に永らえますように。
王が牧場に降る雨となり/地を潤す豊かな雨となりますように。
王が牧場に降る雨となり/地を潤す豊かな雨となりますように。

101はダビデ王の誓い。3から8は悪くない。
卑しいことを目の前に置かず/背く者の行いを憎み/まつわりつくことを許さず
曲がった心を退け/悪を知ることはありません。
隠れて友をそしる者を滅ぼし/傲慢な目、驕る心を持つ者を許しません。
わたしはこの地の信頼のおける人々に目を留め/わたしと共に座に着かせ/完全な道を歩く人を、わたしに仕えさせます。
わたしの家においては/人を欺く者を座に着かせず/偽って語る者をわたしの目の前に立たせません。
朝ごとに、わたしはこの地の逆らう者を滅ぼし/悪を行う者をことごとく、主の都から断ちます。

などだ。

でも、問題は、これでは、「何が善で何が悪かと決めるのは王自身」になるということではないか。

キリスト教では「善」や「真実」には「イエス・キリスト」という名があるということになっている。
その分、統治者が偉いとか党や宗派のトップにいる人が偉いということにならないのはいい。

ダビデ王だろうが、
マクロンだろうが
ルペンだろうが、
イスラエル王国だろうが、
「進め!」党だろうが、
FNだろうが、

人間の名と人間の組織を持った時点で、「神」を道具化する誘惑と偶像崇拝の落とし穴が待っている。

結局…ローマ法王に投票権があろうとなかろうと、彼の使命は祈り続けることだということになるのだろうか。(続く)
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by mariastella | 2017-05-02 02:51 | フランス



竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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