L'art de croire             竹下節子ブログ

2017年 05月 06日 ( 1 )

マクロンとキリスト教

(これは今までの一連の、大統領選をキリスト教の視点から見た記事の続きです。)

このままいくとどうやら「マクロン大統領」が誕生しそうだ。

でも先日は「マクロン嫌い」の人から、面と向かって、マクロンの悪口を言いつのられた。

その中で「マクロンは顔を見てもサイコパス」だというひどいものがあった。

でも、私も一度、マクロンってなんか神がかってるし…、って、ひいてしまったことがある。
だから、それについてあまり反論できずに、「彼は年より若く見えて損しているかも」などとしか答えられなかった。

前回の「討論」のアップの姿を見せつけられると、マクロンのことを「クラスで一番の子」という形容をするメディアがあった。
日本なら「委員長顔」かなあ。
要するに優等生顔で、冷たそう、ナルシスト、とも言われる。

例えば、若くてもトランプ大統領を相手に一歩もひかないカナダのトルドー首相の場合は、若くてハンサムでも、温かみがあって親しみやすい感じでいかにも人気者で「ファン」が多い、という感じだけれど、マクロンの周りにいるのは「信者」みたいだ。
そこを「サイコパス」などと言われるとなんだか気の毒ではある。

今回の大統領選は、かなりアメリカ化して、ミーティングもメガチャーチのショー、討論も格闘技ショーみたいになっていたから、はっきり言って、主要五候補の選挙運動はみな新興宗教のプロパガンダみたいだった。

そろそろ中身について考えなくてはいけない。

マクロンは、旧来の社会党や共和党の二政党の枠を超えて連帯、統合すると言っているから、中道のバイルーやラファラン、社会党の右寄りヴァルスだとか、共和党中道路線のブルノー・ル・メールとかを「マクロン派」として総選挙で戦えるつもりなのか、あるいは、5年後を見据えて譲らない「旧勢力」が持ちこたえるのか、それについて今どういう「根回し」があるのか分からない。

で、この前から、大統領選とフランス・カトリックについての周辺の話を書いてきたので、マクロンと「キリスト教」の関係を少しまとめてみよう。

優等生マクロンは、夫人となったブリジットだけでなく、並み居る大人の「大物」の心をとらえてきた。
若者が、「大物」と付き合う時、普通は少しでも対等に付き合おうとして背伸びするものだ。
対等でなければ、完全に心酔して遠くから崇めることになる。
だから、なかなか、その懐に飛び込んでいけない。
でも、実際は、「大物」とか、すでに世間からの認証欲求を持たない、必要としない人たちには、若者と最初から同じ目線で接する人たちがいる。
その「信頼関係」のチャンスをつかむのがマクロンは「天然」にうまいのだろう。

彼が心酔して病床にまで寄り添った政治家にミシェル・ロカールがいる。
マクロンが社会党に入ったのは24歳の時で、首相だったジョスパンが第一回投票でジャン=マリー・ル・ペンに敗れた衝撃を経験している。
ミッテランの社会党政権はロカールとジョスパンという二人のプロテスタント首相を出した。
プロテスタントはフランスの人口の3%に過ぎないから、これには意味がある。
2012年からのオランドの社会党政見にはプロテスタントの閣僚はいなかった。

社会党の「大物」にはEUの立役者で、元欧州委員会委員長のジャック・ドロールがいる。
彼はミッテラン政権下で財政相も務めた。伝統的なカトリック家庭の出身で、欧州連合のカトリック・ルーツ(『キリスト教の謎』第12章参照)のエスプリに最も近いところにいる。
今回マクロンを応援して自分の立候補を取りやめたフランソワ・バイルーもカトリック・マインドの人だ。

伝統的に、社会党は、無神論反教権主義のカラーの強い共産党と違って、カトリックのキリスト教社会主義と親和性があり、

保守共和党の方は、新自由主義と親和性がある。

けれども、マクロンが政治と関わったころの社会党の大御所だったジョスパンやロカールのプロテスタンティズムは勤勉や成果主義と親和性がある。

つまり、マクロンは、社会党出身でありながら、
キリスト教社会主義の「平等」志向と、
プロテスタント的な自助努力の「自由」志向の
両方を同時に体現しようとしているわけだ。

その折り合いをどのようにつけていくのか、実際にどれだけ可能なのか、課題は山積みである。

今の世界がいやおうなくグローバル化しているのはもう後に戻せないし、新しいテクノロジーが「特異点」と呼ばれるものに近づき、人間と労働の関係を変えることも変えられない。そのことが貧富の格差を生んでいるのも事実だ。

マクロンは神学者でもあった哲学者ポール・リクールにも心酔していると言われる。
「リクールの助手をしていた」と言われることもあるが、実はリクールの著作の校正を手伝っただけだそうで、「哲学者ぶっている」ことを哲学者たちから揶揄されることもある。
なぜなら、フランスで「哲学者」というのは、マクロンのように大学で哲学の学位を取ったというだけでは、高等師範学校(ノルマル・シュップ)で哲学を専攻したエリートから仲間に入れてもらえないのだ。もっとも、そのような特殊なフランス型エリートも、グローバリゼーションの中では、だんだん意味が失われつつある。

12歳の時に自分の意志で洗礼を受けてからずっと神との関係は自分の中にあるとカトリック雑誌のインタビューで答えたマクロンは、「神と話すか」と問われて絶句したそうだ。

これからのフランスで本物の「革命児」になるにしろなれないにしろ、「神」と「金」の問題はいつもマクロンについて回ることだろう。
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by mariastella | 2017-05-06 08:09 | フランス



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