L'art de croire             竹下節子ブログ

2017年 05月 11日 ( 1 )

フィリップ・ド・シャヴロンの『A bras ouverts』(両腕を広げて=歓待)

最近見た映画の覚書ががたまっているので順次アップします。

まず、フィリップ・ド・シャヴロンの『A bras ouverts』(両腕を広げて=歓待)

前にこの人の『神様に何をした』について記事を書いた。http://spinou.exblog.jp/22246255/

ブルジョワの夫婦の四人の娘が次々と外国人の結婚相手を連れてくることから生まれる本音と建前のコメディで大ヒットしたものだ。

それが今回は、ただのブルジョワというわけではなくブルジョワのインテリ左翼夫婦の本音と建て前をからかう。

広大な邸宅の庭にロム(ジプシー)の一家を泊めるはめになる話だが、

ローマ教皇がすべての教区が中東難民の一家族を受け入れるように、と呼びかけた時に慌てたブルジョワ・カトリックのエピソードなどが背景にある。

フランスの博愛の理想と伝統と、世界の悲惨のすべてを受け入れるわけにはいかないというプラグマティックなリアリストとの齟齬、そしてそのベースにある外国人排斥や、EUへの反発(例えばこのロムの場合、ルーマニアからフランスへの移動は自由なので規制できない)という極めて今日的な政治的な問題もかかわってくる。

前作は単に宗教や人種の違いであり、絶対的な「貧困」は入っていなかった。
「カルチャーショック」というのは共通しているが、前作ではブルジョワの娘たちが異文化の男を連れてくるのだが、この作品ではブルジョワの息子がロムの娘を好きになるという設定だからやや微妙である。そこのところをごまかすために、明らかに娘の方が息子を誘惑するようなシーンが挿入されている。
フェミニストの抗議封じのためか、二作とも、女性たちは自由で解放されているというイメージだ。

主人公の68年世代のインテリ左翼と対立する若いハンサムな作家の方は、明らかに移民や移動生活者を差別するような本を書いているのだが、彼は、ゲイのカップルで優雅に生活しているいうという設定だ。これも、「右翼の差別主義者=アンチ・ゲイ」というステレオタイプで抗議されないように「配慮」したのだろう。

主人公のモデルは明らかにBHLで、クリスチャン・クラヴィエが、体系は似ていないが特徴的な髪形を似せて、「永遠にアンガージュマンを続けるインテリのユマニスト」をリアルに書いている。
BHLと同じく彼もアートの理解者だ。

BHLとアリエル・ドンバルのカップルよりも単純化されているけれど、ブルジョワのインテリ左翼のアート愛好者というフランスでのエリートのひとつの典型を揶揄しているわけだ。
それだけに、いくら工夫しても、コメディに落とし込んでも、「不都合」な綻びは免れないので、この作品の評価はかなり低い。

主人公の妻が、ロムから「あんたもゴミを回収しているのか」と言われて憤然とするようなガラクタを組み合わせた前衛作品を創っている。自己満足に陥っている時に、艾 未未(がい みみ)アイ・ウェイウェイの名が出てくるのも示唆的だ。

前にコンテンポラリーアートについての本のことを書いた。http://spinou.exblog.jp/26517938/

現代アートには、糞尿を使ったスカトロものやまさにガラクタ、クズ、ゴミを使ったもの、屍、血、空虚、不条理、陳腐などを前面に出した奇妙なものがたくさんある。そして、ある時代のアートの「好み」や「傾向」というものは、生存における物質的条件を反映したものだという話だ。例えば糞尿やゴミがアートのマチエールとなったのはごく最近のことで、新自由主義の環境破壊以前には、ゴミに価値を付与するなどという発想は生まれようがなかった。

それらは環境の破壊だけでなく、文明の崩壊を反映しているもので、そこに退行、倒錯の現象が現れる。本能の抑圧という成熟の過程からの退行によって、子供のような原始的なサディズムや挑発や刹那的な欲望の解放が現れる。

この映画の、メディアの寵児でもあるインテリ左翼の妻は、自称アーティストであって、自由で解放された進歩的な人間だと思っているのだけれど、贅沢で豊かな暮らしの中でガラクタを組み合わせて愛でている時点で、彼らの生き方のベースの腐敗を提示しているのだ。

この映画が玄人から酷評されるのは理解できる。
大衆受けを狙ったのかもしれないが実は非常に危ない橋を渡っているのだ。

「快適な暮らしをしているインテリ左翼のアーティスト」というカテゴリー(とてもフランス的なカテゴリーだ)にいる人にとっては「笑えない」映画であるが、実は、そのすべての要素(ブルジョワであること、インテリであること、左翼であること、アーティストまたはアート愛好家であること)のひとつひとつについて自問を迫る映画である。


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by mariastella | 2017-05-11 00:04 | 映画



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