L'art de croire             竹下節子ブログ

2017年 05月 18日 ( 2 )

ニコラ・ユロー環境相の意味、マクロン政権への私のスタンスなど

今朝のラジオで緑の党のダニエル・コーン=ベンディットが、ニコラ・ユローの、環境相就任についてコメントしていた。

これまでサルコジからもオランドからも誘われていたのに断ってきたポストをどうして受けたのか、
どうみても原発推進派の首相のもとでこの人選は、「アリバイ大臣」と言われているがそうなのか、

という質問に対するものだ。

ニコラ・ユローはフランス人の好きな人物のアンケートでいつも上位にある人気者で知名度は高い。
この人をついに入閣させたということは新内閣のイメージアップではある。
ヤニック・ジャドも歓迎していた。

(けれども、一方では、ディープ・エコロジストからは体制寄りのご都合主義者として批判されてもいるのだけれど。)

で、コーン=ベンディットの見立ては、マクロンはユローを守るだろうというもの。
というのは、ユローは、これまでのやり方を見ても、もし、自分が十分に動けないとか妨害をされたと感じたらさっさと自認するに違いない。

マクロンにとって、ユローを環境相にして親エコロジーを演出することのメリットよりも、
ユローに批判されて出て行かれることのデメリットの方がはるかに大きい。

だから、彼を起用するにあたっては絶対に辞任させないという自信がある、というか、彼の立場を守る、という合意があってのことなのだろう。

以上がコーン=ベンディットの見立てだ。わりと説得力があったので紹介する。

新内閣の組閣については、後は、

男女同数と言っても「格」としては女性(シルヴィー・グラール)は5番目に出てくるに過ぎない、
平均年齢がオランドの初期内閣よりも上である、

などがコメントされている。

政治畑以外からの入閣が半数を占め、
全体としては左派に傾いているが、
フィリップ首相の任命を聞いたピエール・ガタズ(フランスの経団連にあたるフランス企業運動MEDEFの会長)がいたく喜んだということからも分かるように、「経済リベラル」の路線は確実だ。

労働組合の緊張は高まっているし、マクロンが財政や失業問題の立て直しに結果を出さなければ、
また「取り残された庶民」の怒り、というシナリオになる。

全体としては、バランスが取れた巧妙な組閣だとも言われるが、国民議会の総選挙の経緯を見てみないと誰にも何も分からない未知数であるということは確かで、夏には例えばバロワン首相とのねじれ内閣になるなどの可能性もゼロではない。

付記: 古川利さんが私のことを名指しで「マクロンにメロメロ」だとブログに書いていた、と教えてもらった。
私の一連の記事でどうしてマクロンにメロメロなどという印象を与えるのか不思議だ。あらためてまとめておこう。

数年前から書いているように、個人的には彼の雰囲気は神経質でナルシスティックで好きではない。
教祖的演出も嫌いだった。
政策の新自由主義にも反対の立場だ。(しかも、ポピュリスト公約の住居税免除は私に関係ないしむしろ収入は低下する。)
政策的にはアモンを支持していたが、大麻の解禁のことで躊躇したし、メランションの言うことも、人間性は別としても基本線においては評価している。
マクロンを支持してもいいかと思ったのは第一次投票の三日前に起きたテロのテロリストがマクロンと同じ39歳だったので、同じ歳で国をリードしようとしている若い世代に希望を見出したくなったからだ。
その後はもちろん、ル・ペンよりもマクロンを支持した。彼が当選して「ほっとした」というのが本音だ。
結果的に、プーチン、メイ、習近平、トランプ、メルケルといった強烈な人達に対して、イメージ的に別のメッセージを発することができているようなので悪くはなかったと思う。
フランス語能力が高いことはもちろん評価できる。
全体としては今の私にとってはマクロンはOVNIだとしか言えない。
夫人が私と同世代であることなどどうでもいいが、そのカップルのありようが、例えばトランプ夫妻の逆であるような部分は痛快だとは思う。
私の周囲の若い世代はマクロン支持が多いので彼らへの連帯感はある。
前の記事でも書いたが目上の公人の頬を人前で軽くたたくような不自然な「父性演出」は個人的に不愉快。

とまあ、こんなところ。
サルコジやオランドと違って、内政では軽々しく「おことば」を発しないと言っているので(実際組閣についての説明もなかった)、まあこれからはそう目につかないだろう。食傷気味だ。
フィリップ首相の姿もあまり見たくない。やはりラジオと読み物中心で行くつもり。


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by mariastella | 2017-05-18 16:30 | フランス

中南米のカップル事情

サイトの掲示板で、ヴェルデFさんという方が、

>>2005年頃、メキシコの日系企業の工場で働いていたとき、メキシコ人工場労働者200名増員する為の採用契約で、Casado(a), Soltero(a)のほかに、Union Libreと申告している人が複数おりました。メキシコ国におけるUnion Libreの法律的意味はそのとき一応調べましたが(…)<<<

と書いていらっしゃったので私もメキシコのUnion Libre(free union)(日本風にいうと事実婚や同棲?)について検索してみたら驚いた。

私のイメージではラテンアメリカはカトリックの影響が強いカトリック文化圏だから法律婚はもちろん教会での結婚が主流だろうと思っていたからだ。事実は、この500年来、ラテン・アメリカは、事実婚や「婚外子」の割合が、西欧由来の文化圏では突出して多い地域だったのだ。

それについて明快に解説する論文も見つけて読んだ。(今世紀のデータはないが。)

中南米でも、メキシコ、ペルー、ボリビアなど先住民インディオの分布が多いところと、人口密度がもともと低かったところとでは、スペイン人の入植者と西アフリカからの黒人奴隷に対する人口の割合が違う。そのバランスによって、結婚事情も違ってきた。

スペイン政府は、もともと、スペイン人とインディオの結婚を推奨していた。スペインの男と資産を持つインディオの娘の結婚の政治的、経済的価値を鑑みたからだ。当時、スペイン人の入植者の男女比は10対1だったので、必要に迫られたともいえる。
ところが、「奴隷」である黒人女性との結婚は禁止されていた。資産価値がない。
黒人奴隷の男女比は2対1だったそうだ。なんとなく労働力になる男の方が多いと思っていたけれど、「家事労働」や男たちを支える女が必要だったのだろうか。だから、黒人の方がインディオよりも女性が「余っていた」わけで、結婚が禁止されていても黒人女性といっしょになるスペイン人が少なくなかった。
また、インディオ女性といっしょになる場合でも、入植者の多くはスペインに妻子を残していたから、そもそも法律的にも宗教的にも結婚はできない。
だから、この時代、中南米の非婚カップルの割合は、スペイン本国の4倍にも上ったという。
そのスペインですら、レコンキスタでカトリックを回復したばかりの当時、英独仏などの国に比べると非婚カップルの数がずっと多かったのだそうだ。

宗教改革の時代でもあり、1563年にカトリック教会がトリエンテの公会議で、カトリックの婚姻制度を厳正化した。
けれども、中南米ははるかに遠い。
前述したような状況もあって、中南米の非婚カップル事情は「お目こぼし」となったのだ。「結婚しないで家庭をつくる」ということが、そもそものはじめから広がり受け入れられたわけである。

もちろん結婚した人たちもいる。先住民はもともと生活に宗教の「典礼」が浸透していたから、それがカトリックにとって換わるのも抵抗がなかった。

ところが、1980年代までアルゼンチンやブラジルでは「離婚」が法制化されていなかったように、一度結婚して別れた場合、二度目の結婚は当然ながら「事実婚」でしかない。ますます非婚カップルが増える。

統計の数値などが出てきたのは1950年頃からだが、今の「非婚カップル」のプロフィールは、若く、低学歴、低収入というというものらしい。別れる率も多く、逆に生活が安定して年齢が上がってから「結婚」を選ぶこともある。

カトリック教会も、昔はともかく、いまでも離婚自体は難しくても、カップルのどちらにも結婚歴がなければ非婚自体にはクレームがつかない。当然、別れて何度別の人とカップルを形成しても、「離婚」ということにはならない。子供の洗礼や教育にも支障がない。
今や、「お目こぼし」はカトリック教会の本場だったヨーロッパにも広がっている。
今の教皇がアルゼンチンの出身であるという意味もあらたに考えさせられる。

しかし、メキシコと同じくインディオの数が多かったグアテマラなど、1950年の時点でカップルの70%が非婚だったなどというのを見ると驚きを禁じ得ない。(20世紀末では40%に減っている。内戦もあったから事情はさらに複合的だけれど。)

いろいろなことを考えさせてもらった。

(ユニオン・リーブルというのは日本語で何というのかと思ってグーグル翻訳を検索したら「出来合い」と出てきた…)


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by mariastella | 2017-05-18 06:49 | 雑感



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