L'art de croire             竹下節子ブログ

2017年 08月 20日 ( 1 )

リー将軍の銅像をめぐる騒ぎを見て思ったこと

ヴァージニア州のシャーロッツビルにあるリー将軍の銅像の撤去をめぐってアメリカの白人主義が話題になっている。

私にとってリー将軍というのはアメリカではどうなのか知らないけれど、フランスのクロスワードパズルでよく出てくる言葉だ。


すなわち「南北戦争の将軍」というヒントで三文字が「LEE」である。

( 日本語でよく出てくるのは「OBI」「ISE」「ASO」。「ゲイシャが喜ぶ芝居」=NO(能)」というのも定番。ここでゲイシャというのは日本の言い換えに過ぎなく、ただ「日本の演劇」で二文字のものということだ。「英語の否」のNOというヒントよりはひねっているわけだけれど、クロスワードをするフランス人なら「能」がどんなものかを知らなくても簡単に解ける。)

で、私にとって、LEE将軍ってクロスワードパズルの穴埋めだったのが、今回の事件でしっかり顔や所業と結びついた。


彼自身は個人的に奴隷制に反対していたという話も聞く。

でも、フランクリンらもそうだけれど、その時代の主流秩序の中で生まれ育った人たちが、その価値観を覆すような生き方を表明するのは、特に公人の場合難しい。それなりに周囲を説得したり、賛同する仲間を忍耐強く集めたりという準備がいる。

キリスト教は、それが生まれた世界でまったく異端で革命的ですらあった価値観を導入した(だからイエスは処刑された)。その後歴史の長い回り道と試行錯誤の末に、その「自由、平等、博愛」をベースにして、あらゆる人間は肌の色や信教や性別、社会的立場などに関係なく権利において平等であり、同じ尊厳と安全を保証されるべきだという近代の人権主義が生まれた。

私はその世界で育った。だから、それまでは生まれた時代と場所によってさまざまに変わる主流秩序の中で支配構造に組み込まれてきた人類が、どんな弱者でも個としての等しい尊厳を持ち尊重されるべきだという(少なくとも)理念に到達したのは「進歩」だと考えている。


どこでもたいていは弱者の犠牲を想定して成り立っている主流秩序の中で、弱者が強者に反旗を翻すのは難しいし、強者の側にいる人が、人権主義の実践に到達するのも難しい。


でも、近代の人権主義に至る戦いの中で、もともと前近代的な主流秩序の中にいてその主流秩序を守るべきポジションにいた人がその戦いに負けた時に、スケープゴートにされた後て、いつまでも「悪」というレッテルをはりつづけられるのはきびしい。

例えば、アズテカ文明など、神に人身御供を捧げるような文化が主流秩序をなしていたところに、少なくとも神への生贄を廃止していたたキリスト教徒が入っていく。そして、アズテカの主流秩序は野蛮であり許せないと言って、そういう風習を廃止する。そのことによって、次の年に生贄になっていたかもしれない人の命が救われたかもしれない。だから、人権思想の大きな流れの中でそこはポジティヴだ(その後でキリスト教徒が神より経済利益を重視して先住民には魂がないと言って虐殺するのはまた別の話だ)。

で、その時に、侵略者と勇敢に戦って負けた先住民のリーダーがいたとして、その銅像が建ったとしよう。そのリーダーは、歴史の文脈において主流秩序の伝統を担っていただけだ。生贄復活を唱えるためでなく、その「人物」を記念し、歴史を記憶するために銅像があったとしてもおかしくはない。それを無理やり撤去すると別のイデオロギーになる。

ドイツでは絶対に公にヒットラーの銅像が存在することはない。なぜなら、彼は自分の独裁によって都合の良い秩序を唱えただけで、その前からあるキリスト教のもとの教えやら啓蒙の世紀、近代革命から少しずつ「進歩」して合意されてきた「人権尊重」の普遍主義を「意図的に侵害した」からだ。


一方、フランスでは、革命で否定されたブルボン王朝の王侯貴族の銅像も、その後の皇帝ナポレオンの銅像もある。

ブルボン家の王たちは、たまたま王家に生まれて当時の主流秩序にのっとった生き方をしたから、その秩序が後世から否定されても、彼らの人格までは否定されない。

ナポレオンはある意味では独裁者、帝国主義者ともいえるし、他のヨーロッパ諸国から「制裁」された存在でもあるが、フランス革命を「完成した」という政治的評価を受けているので、人権を顧みない絶対王権に舞い戻ったわけではない。

その理屈で言うと、リー将軍は、独立宣言の後の時代だとはいえ、彼の時代の主流秩序の中で与えられた役割を果たしただけで、「率先して旧弊に戻った」わけではない。

「自由・平等・博愛」をベースに殺し合わずに尊重し合って共生するという価値観は、社会進化論的に無理があるのかないのかは難しいところだ。

でも、大量の死者を出した近代戦争の惨禍や核兵器の危機を認識した今の国際社会では人類サバイバルのための一応の合意となっている。

それが一応の合意となるまでの長い道のりの中で、それに反する主流秩序の中で生きたリーダーたちは、確信犯の独裁者とは違う。


ほおっておけば複雑系の事象を善悪二元論で切って捨てがちな私たちにとって、「情状酌量」というのは、、ひとつの「智慧」だと思う。


今生きている私たちは誰でも、延々と生命を伝えてくれた先祖たちの子孫だ。その先祖たちには、生存戦略として、他者、弱者の命や尊厳を奪って生きのびた人などたくさんいると思う。

そのことの「悪」(すべての人が尊厳を持ってその生をまっとうできること、を、意図的に阻害することをここでは悪と呼ぶ)について思いをはせたり反省したりするのは必要だろう。でも、本人の意思に関係なく運よく主流秩序のマジョリティに生まれたからそれを利用して生きたり生きのびたりしてきた「人」そのものを裁いたり否定したりする権利は誰にもない。

もっともこのブログにもプーチンと聖ウラジミール銅像のエピソードを書いたことがあるように、権力者が突然自分に都合のいいイコンを銅像にして持ち出すことは珍しくない。

ナポレオンの像やジャンヌ・ダルクの像の使われ方についてもこれまで述べてきた(『ナポレオンと神(青土社)』『戦士ジャンヌ・ダルクの炎上と復活(白水社)』。


罪を憎んで人を憎まずというのは実際はなかなか難しい基本だ。

「人」を銅像化して偶像崇拝することで「罪をなかったことにする」方がずっと簡単かもしれない。だとすれば、人間が進歩した証としての自由・平等と人権思想の普遍主義をプラグマティズムの名のもとに看過することなく、そこから退行しないように常に意識していなくてはならない。

本当に弱い人は常に淘汰されてきた。今ここに生きている私たちは、歴史のどこかで強者に与して弱者を踏みにじって生きのびてきた人たちの子孫なのだろう。

その意味で私たちはみな差別者、強者、または強者への追従者を先祖に持つ。

その先祖の銅像を拝むことも辱めることもしたくないが、そうして命を受け継いできた者として、みなが、自分の代で少しでも他者を排除しない共生の道へと舵を切る努力をすることが「先祖」の供養ともなるのではないか。


アメリカ南部の話だけなどでは、ない。


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by mariastella | 2017-08-20 06:12 | 雑感



竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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