L'art de croire             竹下節子ブログ

2017年 10月 14日 ( 1 )

『キリスト教は「宗教」ではない』に載せなかった部分

小寄道さんのブログ『キリスト教は「宗教」ではない』の感想を書いていただきました。

タイトルのせいでいろいろ誤解される懸念もあったのですが、直球で理解していただけて安心しました。


その終わりに、


>>>追記:4章の「宣教師たちのキリスト教」において、ロレンソ了斎という人物についてなぜ破格のページを割いたのだろう? 全体を考えると、その扱いは不思議に思えた。<<<

とありました。


それについてここでお答えします。


単に、版組のために、ページを削る必要があったので、p124の「一例を挙げよう」の後と「片目の聖徒」の間にあった他のエピソードを削除したのです。


それでも「片目の聖徒」を残したのは、「片目失明者友の会」を支援している友人へのメッセージを込めたかったからです。


で、ここに、削除した部分を再録します。前にも、新書のジャンヌ・ダルクで削除したエピソードをサイトの「ジェンダーの話」に再録したことがるのを思い出しました。ネットって便利ですね。

では、以下が、削除した部分です。(削除したのは、まあ、この部分は、歴史事実関係の記録なので、私の解釈とは関係がないから本質には影響しないと思ったからでもあります。日本のキリシタン史については私でなくとも他の研究死者がたくさんいらっしゃるのだし。ロレンソ自身の資料は貴重なものを手に入れたのでぜひ紹介したいと思いました。私にとって魅力的な存在だったので。)

(以下、単純変換ミスなどを訂正しました)



キリスト教が仏法の一派でないことが分かり仏教勢力からの激しい反発を受けた後で、宣教師ヴィレラ一行が一五六〇年末にようやく京都居住と布教の許可を得た頃の話だ。その許可を得たのも、単なる行政手続きではなく、判断を下す役人が「教えを聞いて魅了された」からだった。「お談義」と呼ばれるキリスト教教義の説明(要理)はカルト宗教のアジテーションや奇蹟のパフォーマンスとは程遠いものだった。次のような例が報告されている。

ある時、天台、浄土、神道と各宗を渡り歩いた禅学の博識で知られていた山田庄左衛門(当て字)という美濃の武士が「天主堂(教会)」にやってきた。対応にでた日本人修道士イルマン・ロレンソは、手順に従って、日本の諸宗と造物主デウスとの間の差異を説明しようとしたが、庄左衛門は笑ってこう言った。

「それらの説明は必要ない、私は禅宗であり神仏は何もない」「禅宗は四大元素を説き、第五の無(涅槃)を加えた。禅学者はその本質を明らかにしようと苦労し、千五百の公案を熟想するが、全生涯を通しても三百の公案を解決する者はほとんど見出せない。我々は中国やインドの碩学の古来よりの著作を多く持っているが、第五の元素に踏み入った者もなく安心と悟りを与えない。それについて知っていると自負する者は他宗の知識の蘊奥を極めた者をも凌ぐと信じられる。貴僧の教法はこの禅宗の核心についてどうするのか伺いたい」

ロレンソは答えた。

「それを聞いてくれて非常にうれしい。というのは毎日理性に満足も与えず役にも立たないことを説く煩わしさを免れさせていただけたからだ。貴下の言う第五元素、禅宗で考究し苦労されているものを知っているからこそ、パードレがはるかかなたの国より渡来されたのであり、それが主要目的であり最大の動機である。日本人の知らなかった第五元素の本質を少しの誤謬もなく真理に基づいて知るパードレの教えにより最終解決を与えられるのが現世における唯一の有効な方法だ。それがパードレの直接の天職であり目的であり熱望であるからだ。ヨーロッパの古代哲学者は第五元素を天と呼んだ。しかしこれも他の元素と同じく被造物だ。デウスとは無限の隔たりがある。しかし高邁なことを理解するには順序があるので、まず、被造物と目に見えるものとについて説明し、次に、すべての理性的被造物の持つ不可思議で不滅の本体、理性的霊魂(アニマ・ラショナル)とは何か、次にわれらのアニマと天使や堕天使との相違を説明しよう。これらについての認識を持ち理解された後で、それを観じ永遠の歓びのために我らを創造された最高の霊的本質(スピリツアル・スタンシアであるデウスについて話そう」

これを聞いて非常な喜びと満足を覚えた庄左衛門は、突然、紙と墨を所望した。話の要点を書きとめるためかとロレンソは思ったが、それは、さらに重要な一一の質疑を書くためで、その疑問を説いてくれれば自分はキリシタンになる、と庄左衛門は言った。ロレンソとロレンソの相談を受けたヴィレラがそれらすべてに答え、満足した庄左衛門はようやく「要理」のお談義を聞きに通って洗礼を受けたのだ。


お談義と大名布教

お談義は、世界は永遠でなく始まりがあったこと、太陽も月も神ではなく、人には理性的霊魂と知覚的霊魂とがあり、理性的霊魂が後世にも生き残ること、をまず伝え、その後の質疑応答に移る(ここで天文、博物学の知識による自然神学の弁神論が使われる)。

 次に相手の宗旨を個別に取り上げ、根拠を挙げて誤謬を是正する。それが理解されると、三位一体の玄義(ミステリヨ)、天地創造、ルシフェルの追放、アダムの原罪とデウスの御子のこの世への受肉、受難と復活昇天、十字架の玄義の力、最後の審判、地獄の戒め、天国の快楽が説明される。

これらの「真理」を理解した時に、デウスの十戒を授け、それまでの宗旨を捨てること、戒を守ること、咎を悔いることを説明し、最初の秘跡である洗礼が必要なこととその玄義を解説する。

畿内におけるキリシタン隆盛の嚆矢となった一五六三年の奈良における大名たちの劇的な入信も、同様にきわめて知的なプロセスを経たものだった。旧弊を排する進取の気風に満ちた若者や、現実に不満のある下層の民を扇動したり迎合したりするものではない。全てを言葉で説明して理解を求めるというキリスト教の布教は、一見すると、不立文字の「禅」が人気を博していた当時の武家社会とは相いれないように思えるかもしれないが、もともと日本は漢文を通して「学」を深めてきた社会だ。新しい宗教との出会いにおいてそれがどのように「言語化」されているかを確認するのは、実は、知識階級にとって不可避の欲求だった。

布教にはずみをつけたのは、松永久秀の重臣で山城守結城忠正という文武両道の達人である「老人」である。そのきっかけは、比叡山の僧徒が松永久秀に提示した「天下の治安維持策一三ヶ条」だった。そこに伴天連追放の二ヶ条が組み込まれていた。それには「伴天連居住の山口や博多は戦乱によって荒廃しているから、都から追放すべし」という言いがかりも含まれている。とはいえすでに公方(足利義輝)から宣教の認可状が出ているのだから久秀の一存で無下に追放はできない。久秀は重臣である碩学の結城忠正と清原外記に宗論させようと考えたのだ。

都の仏僧は忠正に贈賄し、忠正のような高識の学者なら、伴天連と宗論すれば二、三語で説伏できるであろう、伴天連を放逐し財産と家屋を没収できる、と、そそのかした。

乗り気になった忠正は松永久秀に、伴天連を追放するのと殺すのとどちらがよいか、と尋ねた。その時点で忠正はキリシタンにも伴天連にも会ったことがなかった。ところが、ディエゴという洗礼名を持つある信徒が訴訟事件で久永のところに来た時、結城忠正が取り次いだ。ディエゴがキリシタンであると知って、「汝の神はなんと言うか」と質問したところ、ディエゴは滔々とあざやかにあらゆる質問に明快に答えたので、忠正は深い眠りから覚めたごとく畳に手を突き、頭をさすってキリスト教を賛美し、切支丹になろう、と言って、堺にいるパードレを招く書簡を送った。

日本人の一信徒がこのように明確に尋問に対応できたということは、洗礼を授けるにあたっての教義の理解が徹底していたということだろう。「先祖代々からの宗派」でもなく、現世利益を約束する甘い言葉による新宗派による勧誘でもなく、ましてや脅しによる改宗でもない。キリスト教はその宗教の教義によって人々を知的に納得させ、決断させていたわけだ。

さて、忠正が本気で感動して書簡を送ったのに、堺のヴィレラは半信半疑で真意を測りかねた。とりあえずロレンソを遣わせて探らせることにした。奈良に着いてすぐに忠正を訪ねたロレンソを待っていたのは、久秀に指示されて伴天連を論破するためにやってきた公家の清原外記だった。ご談義と討論が数日にわたって続いた。ご談義の知的説得力は大きかった。忠正だけではなく和漢の学に通じた外記も、数日後には完全な理解に至ってキリシタンになる決意を固めた(後に忠正は主君久秀にもロレンソを合わせたが、久秀は心を動かされたものの、熱心な法華信徒であるので改宗には至らなかった。)

 六日以内に報告する手はずだったのに十日過ぎてもロレンソから消息が来ないので心配していたヴィレラのもとに、忠正からの洗礼志願の書簡を携えたロレンソが戻ってきた。洗礼には、入信希望者の自筆の願書が必要である。入信とは、「理解」、「決意」、「願い」という三段階のプロセスを経てはじめて可能になるものだったのだ。後に「踏み絵」を踏むことで「棄教」とみなされる日本のキリシタン史のことを思うと、「入るのは簡単で脱退は難しい」カルト宗教などと全く逆のものであることが分かる。

 

さらに四十日ほどして、忠正の要務が終わった時にヴィレラは奈良に来て、忠正、忠正の嫡子左衛門尉、外記、その他数名の身分ある士に洗礼を授けた。それまでの経緯を耳にしていた同じ奈良の沢城主もひそかにやってきて、二日二晩ロレンソのご談義を聞いた後、その場で洗礼を志願してかなえられた。

忠正の嫡子である結城左衛門尉は飯盛城で三好長慶に仕える放埓な武士だったが、受洗後は人が変わり、城にロレンソを招いた。好奇心からデウスの話を聴きに来た人もいたが「他の及ばざる智慧と才能、無常の記憶力」を有していたロレンソが「非常な霊感と熱をもってお談義をし、非常に豊富な言葉を用いて、典雅、明晰にして精緻」であったことに皆が驚嘆した。名談義を前にして尊敬と畏怖の念を持ち、夜昼を問わず教談が続けられてついには三好殿の重心七三名他五百人が一挙に受洗を決意した。

奈良で洗礼を受けた沢城主の高山友照も、戦乱中にありながら、妻子家臣にも談義を聴かせたく思ってロレンソを招いた。そのお談義を聞いて妻子と家臣一五〇名が受洗を決意した。

これらの経過も興味深い。今の私たちは、家父長制と主君の絆の強固な昔の日本において家長や主君が宗旨替えをしたのだから、一族郎党が自動的に宗旨替えをしたのだろうと考えてしまいがちだ。けれども、ザビエルの方針通り、「理解」、「決意」、「受洗の願い」のプロセスは、「女子供」に対してもまったく平等に適用され、求められるものだった。この時、嫡男の高山右近は十歳だった。ヨーロッパでも幼児洗礼を受けた子供が要理を学んで初聖体拝受にあずかることのできる年齢である。右近はその後キリシタン大名として、戦国時代を通して多くの功名を立てたにかかわらず、切支丹禁令に従わないことで地位や領地を失って一六一四年末にフィリッピンのマニラに追放され間もなく客死した。

右近の次の世代に幼児洗礼を受けたカトリックの子弟は、右近や友照のように「言語」によって劇的な回心を遂げた世代ではないので、家父長制度の圧迫を免れていなかったとは言えない。殉教の覚悟を固めた親や主君を見ながらあえて法に従って棄教するという選択の自由はなかったかもしれない。それでも、その後、遠藤周作の『沈黙』のモデルとなった一六三〇年代や四〇年代、日本のキリスト教を根絶するための徹底的な迫害を前にしても棄教することなく神を称えながら残酷に殺されていった信徒が多くいたのだから、知的な革新と決意の上に成り立った一六世紀後半の日本人の「回心」は本物だったのだろう。


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by mariastella | 2017-10-14 06:57 |



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